日本歴史地名大系 「高野町村」の解説
高野町村
たかのまちむら
千曲川左岸の沖積地に位置する。西方
東は千曲川をもって
西方の台地上から北沢川の谷筋にかけては、縄文中期後期・弥生後期・古墳時代にわたる佐久西学校裏遺跡で、佐久地方でも主要な遺跡地の一つである。字北沢の
中世には鷹野郷とよばれ、建武二年(一三三五)山城国大徳寺領佐久郡伴野庄の雑掌水沼実真が同庄の年貢員数を大徳寺に注進した「伴野庄郷々村々御年貢存知分事」(大徳寺文書)に「鷹野郷 八百余貫文」とある。嘉暦四年(一三二九)三月に諏訪社上社の御射山頭役結番等を定めた際(「鎌倉幕府下知状案」守矢文書)にも、五番五月会分として、「御射山左頭、佐久郡伴野庄大沢・鷹野郷駿河守跡」とある。駿河守は北条基時と考えられるので、鎌倉時代末には
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報