日本歴史地名大系 「高鍋藩寺社帳」の解説
高鍋藩寺社帳
たかなべはんじしやちよう
一巻一冊
別称 高鍋藩貞享寺社帳
成立 貞享三年
写本 個人所蔵
解説 表紙右下に細字で「貞享四年ヨリ天保四年迄百四十七年」と記されている。まず寺院が宗派名別に配列され、所在地・山号・寺院名・本尊・建立者名・建立年月・開基・寺領・住職名・寺歴などの概略が記され、合せて一一〇ヵ寺が載る。神社は所在地・神社名・本地・祭神・社殿・祭礼月日・社領・建立年月日等が記され、七二社が載せられる。末尾に「貞享三丙寅年五月吉日」と寺社帳を書終わったと思われる年月日が記載されている。この年月日の後に続けて記される高鍋大明神には享保五年の記事があるから後世の追記と思われる。巻末には天保四年に永友宗義が奉行所所蔵の寺社帳を内々に写し置いたもので、そのためみだりに他見を許さないと記されている。永友宗義は八幡宮(現舞鶴神社)の神主で、都農一宮(現都農神社)神主の兼帯を命ぜられた。その子宗鷹は明治一五年都農神社の宮司に任ぜられている。この寺社帳の追記には二種類の追記がある。第一は貞享三年から天保四年までの間になされたと思われる追記、第二は寺院名・神社名の前後の空欄に明治二年または同三年のこととして廃寺・復飾・改名などのことが記載されている。第一の追記は原本が奉行所に所蔵されていたので、寺社奉行所による追記と思われ、第二の追記は書写した宗義自身が記入したものと考えられる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報