高麗本郷(読み)こまほんごう

日本歴史地名大系 「高麗本郷」の解説

高麗本郷
こまほんごう

[現在地名]日高市高麗本郷

横手よこて村の東、高麗川左岸にあり、南は同川を隔ててだい村・久保くぼ村。「和名抄」記載の高麗郡高麗郷を当地付近に比定する説がある。小田原衆所領役帳には小田原衆岡上主水助に蔵出分より宛行われた一五貫文は「但大高麗之内にて前引」とある。この「大高麗」を当地とする説もある。近世には高麗郡高麗領に属した(風土記稿)徳川家康の関東入国後の天正一九年(一五九一)から当地に大久保石見守(長安)の陣屋(高麗陣屋)が置かれ、当時は高麗町とよばれた。だが慶長二年(一五九七)火災に遭ったため陣屋は梅原うめはら村との境に近い栗坪くりつぼ村地内に移った。このため高麗町の名称は梅原・栗坪二村の通称となり、旧陣屋所在地は高麗本郷と称されるようになったといわれる(「高麗陣屋天正一九年以来代官交替覚書」高麗家文書、「風土記稿」)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「高麗本郷」の意味・わかりやすい解説

高麗本郷
こまほんごう

埼玉県南部,日高市西部の地区秩父山地東麓,高麗川の谷口集落。旧高麗村の中心地で,東部の旧高麗川村とともに8世紀初頭,朝鮮半島から渡ってきた高麗人集団移住した地として知られる。

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世界大百科事典(旧版)内の高麗本郷の言及

【日高[市]】より

…716年(霊亀2),駿河以東7ヵ国の高麗人が武蔵に移住して設置された,高麗郡の中心地という。高麗川の谷口集落,高麗本郷は江戸時代初期から市場町として発達したが,のち飯能と競合して商圏を奪われた。畑地が多く,かつては養蚕を中心としたが,現在は野菜づくりと養鶏が行われている。…

※「高麗本郷」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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