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鯨組 くじらぐみ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

鯨組
くじらぐみ

鯨猟を目的とする漁民の組織。日本の鯨猟は背美鯨 (セミクジラ ) を対象とするもので,17世紀の初め (慶長年間) 紀州の和田頼元によって銛突きの法が考案されたのに始る。頼元は突き組を 30人前後で1組とし,これを刺し手組と名づけて,5組のうち4組を一族で編成した。その後,和田家は漸次分家したが,背美鯨の減少に代って座頭鯨 (ザトウクジラ ) が来集するようになるに及び,頼治 (太地角右衛門) はこれまでの刺し手組を一大飛躍させて網取法を創始した。紀州と並んで有名であった土佐捕鯨は初め突漁を創始した (寛永〈1624~29〉頃) が,やがて紀州から網取法を伝習し,津呂組,浮津組が二大勢力を張った。その他,長門の捕鯨,九州西北海域では平戸藩生月島の益富家,肥前大村藩の網取法が盛大であった。

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世界大百科事典内の鯨組の言及

【クジラ(鯨)】より

…背の赤身肉は付け焼き,みそ漬,ステーキ,カツレツなどに用いられ,松浦漬と呼ばれるかぶら骨のかす漬は佐賀県の名産として知られる。【鈴木 晋一】
[信仰と捕鯨組織]
 海にすむ最大の動物としての鯨は,各地の民族にいろんな意味で重要な印象を与えてきた。これが一方では宗教的な畏敬とか恐怖を与え,他方ではこれを対象とする壮大な漁労活動を促すことになる。…

【長門国】より

… 長門国の北浦では漁業が盛んであったが,中でも鯨漁は漁村に大きな活力を与えた。北浦の鯨漁は中世から行われていたが,72年(寛文12)以後長州藩が鯨組の保護と奨励を行ったため,活況となった。瀬戸崎・通(かよい)(長門市),黄波戸(きわど)(日置町),立石・川尻(油谷町)の各浦で鯨組が漁獲を競った。…

【捕鯨】より

…その網取式捕鯨とは,クジラを発見するとまず網で取り囲み,次いで銛を投げて捕獲する独特の方法のことで,1820‐30年に最盛期を迎えた。当時の捕鯨組織である鯨組は,紀州の太地・古座・三輪崎,土佐の津呂・浮津・窪津,長門の仙崎・通ヒ(かよい),肥前の小川島・生月島・平島・有川・宇久島,壱岐の勝本,対馬の鰐浦などで繁栄し,各地の大名は鯨組に保護を加えて,重要な財源にしたと伝えられている。 鯨組を構成する人員は多く,一例をあげるならば,経営・管理担当者約20人,海上における捕鯨従事者約500人,陸上における鯨体処理・大工・鍛冶屋など百数十人,合計約700人近い大規模な企業集団であった。…

※「鯨組」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

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