鵜戸神社(読み)うどじんじや

日本歴史地名大系 「鵜戸神社」の解説

鵜戸神社
うどじんじや

[現在地名]吾平町麓

麓の宮ノ前ふもとのみやのまえにある。祭神草葺不合尊・玉依姫など。旧郷社。古くは鵜戸六所権現、鵜殿うどの神社とも称し、上名かんみよう村吾平山の吾平山上あいらのさんじよう陵の比定地鵜戸山(鵜戸窟)の北傍に姶良あいら川に向かってあったが、明治四年(一八七一)一一月麓村八幡神社(正若宮八幡宮)の社地であった現在地へ移った。吾平山上陵は彦波瀲武草葺不合尊(ヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコト)陵墓で、「三国名勝図会」に描かれる当地の御陵岩窟で、入一〇間・横一二間・高さ一丈余・広さ四畦と記されている。「三国名勝図会」所引の文禄三年(一五九四)四月八日書写の神記によれば、天平一九年(七四七)九月一九日六所大権現と号し、弘安三年(一二八〇)二月一〇日勅使が下向

鵜戸神社
うどじんじや

[現在地名]高鍋町蚊口浦

蚊口浦かぐちうらの北東端の崖の上にあり、日向灘を眺望できる。祭神は鵜草葺不合命のほか六柱。旧村社。鵜戸神宮(現日南市)の分霊を祀ると伝える。景行天皇が熊襲平定の際、海陸安全・戦勝祈願のため行幸したと伝え、古来海上鎮護の神として尊崇された。創建は不明であるが、社伝によると寛正三年(一四六二)一〇月に社殿が再興されたという。寛永一五年(一六三八)の高鍋藩人給帳によると、社領三石が与えられていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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