蚊口浦(読み)かぐちうら

日本歴史地名大系 「蚊口浦」の解説

蚊口浦
かぐちうら

[現在地名]高鍋町蚊口浦

小丸おまる川が日向灘に注ぐ河口に位置する。明暦三年(一六五七)一二月の序文のある山村長敬編の見聞年代記(高鍋町歴史総合資料館蔵)の慶長一四年(一六〇九)六月一三日条に「於蚊口唐船着岸、船頭泰貫」とあり、「本藩実録」などにも同様の記述がある。寛永一五年(一六三八)の高鍋藩人給帳には諸郷催司として「かぐち清兵衛」とあり、また同帳寺社の項には蚊口鵜戸うど神領三石とみえる。一方、現串間市の串間神社に保管されている樟の板額には享保元年(一七一六)五月一二日「嘉口浦」から乗船した記録があり、嘉口とも記した。

蚊口浦は小丸川宮田みやだ川の両河口の間にあるが、宮田川は通常は水量が少ないため河口は砂で埋まり、蚊口浦西部を蛇行して小丸川河口に注いでいる。蛇行する宮田川にはくじら橋が架かり、対岸新中しんぢゆう町という。橋を東に渡った島のようになっている所を中心に人家が密集し、俗に蚊口千軒といわれていた。寛政四年(一七九二)高鍋に来訪した高山彦九郎は蚊口浦の様子を「鯨橋なる板橋を渡る、かぐち湊也、七百軒斗り、鵜戸大明神海辺松森の所に立つ、午未ノ間へ向ふ、(中略)城下より壱里也」と記している(筑紫日記)。橋を渡って東へ行くと蚊口代官屋敷がある。町の北端に蚊口湊があり、湊に臨む所がみなと町で諸番所が置かれていた。湊町を南へ下るとかみ町・なか町・しも町が並ぶ。中町の戎様を祀った祠のある辺りをえびす町ともいう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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