鵜木村(読み)うのきむら

日本歴史地名大系 「鵜木村」の解説

鵜木村
うのきむら

[現在地名]大刀洗町鵜木

筑後川支流の大刀洗川中流域に位置し、東は上高橋かみたかはし村に接する。中部の石本いしもとは下高橋官衙遺跡の一角。観応三年(一三五二)書写の安楽寺領注進状に「付鵜木空閑、又上浦空閑」とあり、高樋たかえ庄を本拠とする名主層の出作により当地の空閑地が開発され、加納として寺領に組込まれたものであろう。応永二年(一三九五)閏七月二五日の天満宮領筑後国所領注文(太宰府天満宮文書/大宰府・太宰府天満宮史料一二)に筑後国の不輸領として高樋庄のうちの鵜木空閑がみえる。室町初期、大友親著が「三原郡内鵜木」の替地として、下妻しもつま郡萱津(現未詳)四〇町を能一兵部丞に預け置いている(一二月九日「大友親著知行預ケ状」能一文書/増補訂正編年大友史料九)


鵜木村
うのきむら

[現在地名]若美町鵜木

男鹿おが街道に沿い、北は支郷どう村を隔てて松木沢まつきざわ村、南は角間崎かくまざき村に接する。西は寒風かんぷう山麓から延びる段丘崖下で、東は狭い沖積平野を隔てて八郎潟に連なる。

文禄三年(一五九四)の小鹿嶋之内知行方帳(秋田藩家蔵文書)に「千弐拾八石九斗九升八合 鵜木村」とある。

正保四年(一六四七)の出羽一国絵図に四〇一石とみえる。


鵜木村
うのきむら

[現在地名]甘木市鵜木

片延かたのぶ村の東、かつら川の下流平野部に位置する。下座げざ郡に属し、北は四郎丸しろうまる村、東は上座じようざ大庭おおば(現朝倉町)。江戸時代を通じて福岡藩領。小早川時代の指出前之帳では鵜木村は方延村(片延村)林田はやしだ村・上畑うえのはた村を含み、田二三町七反余(分米二三七石余)・畠三一町余(分大豆一六三石余)。慶長七年(一六〇二)の検地高三〇五石余、うち大豆一二六石余(慶長石高帳)。元禄五年(一六九二)には同じく高三〇五石余、反別は二三町九反余、家数一六・社一、人数九七(田圃志)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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