鷲部城跡
わしべじようあと
江田島湾東岸の中ほど、標高約三五メートルの独立丘を利用した中世の山城。現在西側海面は埋立てられているが、かつては麓まで海岸線が迫っていたと思われる。
「芸藩通志」に「鷲部城 江田島にあり、鷲部は城主の氏なりや、今所伝なし」とあるが、城主は久枝氏と考えられている。久枝氏は家譜によれば伊予河野氏の一族で、貞和二年(一三四六)細川頼之に敗れて安芸に走った秀清・通重兄弟のうち、江田島亀山(鷲部)に居を構えた通重の子孫であるという。この所伝も確かなものではないが、久枝氏が他の海賊衆と同様河野氏と族縁関係にあったことは事実らしい。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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