鷺仁右衛門(読み)さぎにえもん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「鷺仁右衛門」の意味・わかりやすい解説

鷺仁右衛門
さぎにえもん

狂言師鷺流宗家の名。鷺流系図 10世鷺仁右衛門宗玄 (1560~1650) より実質的に狂言の鷺流は成立し,代々宗家は仁右衛門の名を継ぐ。宗玄は京都の手猿楽として活動し,また宝生座付から慶長 19 (1614) 年に観世座付の狂言方となった。その写実即興的な芸は『わらんべ草』で古格を守る大蔵虎明非難の的となった。以後 11世仁右衛門宗慶,12世仁右衛門宗悦,13世仁右衛門定義,14世仁右衛門政之,15世仁右衛門定朝,16世仁右衛門定賢,17世仁右衛門正迪,18世仁右衛門定行と続き,19世は権之丞を名のったが,明治維新の混乱期を経て鷺流は瓦解し,仁右衛門家は廃絶した。

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朝日日本歴史人物事典 「鷺仁右衛門」の解説

鷺仁右衛門

没年:慶安3.4.24(1650.5.24)
生年永禄3(1560)
江戸前期の狂言師。鷺流10代宗家。初名猪(伊)右衛門,法名宗玄。名乗り正次とも。河内国(大阪府)磯島出身で,初め長命座,のちに宝生座に属したが,京都の手猿楽としても活躍していた。徳川家康愛顧を受けて慶長19(1614)年には上意により観世座付となり,頭角を現す。鷺流の実質的な流儀の確立者。「身ノシホアリテ,上手也。乍去,狂言ノ昔ノ掛リニ違ヒ,当座ニスル事多ク,誤多シ」(『四座役者目録』)というように,上手ではあるが芸達者であるあまり,ややもすると写実,即興に走りがちな芸風だったらしい。<参考文献>小林責「鷺流の成立と仁右衛門宗玄」(『狂言史研究』)

(石井倫子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鷺仁右衛門」の解説

鷺仁右衛門 さぎ-にえもん

1560-1650 織豊-江戸時代前期の能役者狂言方。
永禄(えいろく)3年生まれ。鷺流の初代家元。叔父鷺三之丞(さんのじょう)にまなび,宝生(ほうしょう)座に属したが,徳川家康の命で観世(かんぜ)座にうつる。即興的な芸で人気をえた。慶安3年4月24日死去。91歳。本姓は長命。初名は伊(猪)右衛門。俗称は大鷺

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世界大百科事典(旧版)内の鷺仁右衛門の言及

【鷺流】より

…日吉満五郎は大蔵流和泉流でも芸を伝授したとされており,両流と同じ芸系にあることになる。三之丞の甥鷺仁右衛門宗玄(にえもんそうげん)が1614年(慶長19)に徳川家康の命で観世座付となり,流儀として確立した。宗玄はもと山城猿楽長命座や大和猿楽宝生座にも属したが,もともと京都で手猿楽の狂言として活動していて取り立てられたものと考えられる。…

※「鷺仁右衛門」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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