江戸初期の大蔵流の狂言役者。事実上の大蔵流流祖大蔵虎政の後嗣虎清と,鼓の名人幸正能の女との間に嫡男として生まれた。幼名熊蔵(熊)。通名弥太郎,後に弥右衛門。諱(いみな)は初め虎時。法名心叟道徹居士。5歳のころより父に師事。6歳で奈良の春日若宮御祭(おんまつり)の後日能で初舞台を踏み,興福寺衆徒中より,名人や幼少の役者に与えられる名誉号である大夫号を贈られたという。以後の幼年期の活動記録は少なく,1605年(慶長10)高台院(豊臣秀吉正室ねね)大坂御成り能での父との共演が知られる程度である。1613年ころ,徳川家康の命で駿府に滞在中の父の下に赴き,以後は,能の金春大夫安照に私淑するなど周囲の名人達の影響を受けながら稽古に励み,しだいに頭角を現した。32歳のとき(1628)父に代わり金春座頭取に推され,金春大夫の《翁》に際しては優先的に三番叟を舞う資格を与えられたらしい。34年(寛永11)家督を相続。この間,狂言をはじめ,文武の諸道に精進し,その生涯を通じ19種もの印可を受けたが,これらは後の著作活動を支える虎明独特の見識を形成した。1635,36年に詳細な注釈を付したアイ(間狂言)の詞章を,42年には230余番の狂言台本を江戸で執筆完了,45年(正保2)父の加判を得て芸事伝領者としての正統性を確立した。51年(慶安4)狂言のあり方の大要を記した《昔語(むかしがたり)》を著述(北七大夫加判)。この後,病を得て奈良に隠退する60歳ころまでは引き続き第一線の役者として活躍したが,隠居後は著述に専念したらしく,58年(明暦4)《昔語》補訂に続き,60年(万治3)にはその注釈書である《わらんべ草》5巻を一応完成,2年後に奈良で66歳の生涯を終えるまでさらに加筆を試みたようである。《近代四座役者目録》に〈親より声小音にて芸小前なり〉と酷評される虎明ではあるが,大蔵流最古の狂言台本集成を執筆して芸統を確立,大成し,当時一世を風靡していた鷺流に対抗し,《わらんべ草》等の著述を通じて大蔵流の流是を主張,保守したことの意義は大きい。
→大蔵流
執筆者:竹本 幹夫
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(石井倫子)
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狂言師。大蔵流宗家13世。12世大蔵弥右衛門虎清(やえもんとらきよ)の長男。前名弥太郎、虎時。通称弥右衛門。金春(こんぱる)座付き狂言方として江戸幕府に召し抱えられ、徳川封建体制の整備期に家系と芸統を確立した。1642年(寛永19)大蔵流最初の台本『大蔵虎明本』を書写。また当時、観世座付き狂言方として台頭してきた鷺(さぎ)流の近世的芸風に対抗して伝統保持を主張し、60年(万治3)伝書『わらんべ草(ぐさ)』を執筆した。なお、その著作は大蔵弥太郎編『古本能狂言』6冊(1976・臨川書店)に収められている。
[小林 責]
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…全5巻。江戸時代初期の狂言師大蔵虎明(おおくらとらあきら)(1597‐1662)の著。初め父虎清(とらきよ)の教訓を主に89段から成る《昔語(むかしがたり)》を1651年(慶安4)に著したが,次いで,それに抄,すなわち注釈を加えた《狂言昔語抄(きようげんむかしがたりしよう)》を編集し,さらに,これを改稿して60年(万治3)に完成したのが《わらんべ草》である。…
※「大蔵虎明」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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