鷺流(読み)サギリュウ

デジタル大辞泉 「鷺流」の意味・読み・例文・類語

さぎ‐りゅう〔‐リウ〕【×鷺流】

狂言の流派の一。室町初期の路阿弥を流祖と伝え、江戸初期の10世鷺仁右衛門の代に家系・芸系を確立観世座付きとして幕府に重用されたが、明治末年に廃絶。現在、新潟山口などに地方芸能として名残をとどめる。

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精選版 日本国語大辞典 「鷺流」の意味・読み・例文・類語

さぎ‐りゅう‥リウ【鷺流】

  1. 〘 名詞 〙 狂言流派の一つ。鷺の名称については諸説あるが、江戸初期の大蔵虎明著「わらんべ草」によれば、徳川家康に仕えて鷺流の基礎を築いた鷺仁右衛門宗玄父親にあたる者が、生まれつき首が長く、水辺に住んだところからつけられた異名にもとづくものという。宗玄は慶長一九年(一六一四)に徳川家康の命で観世座付となり、流儀として確立した。芸質は派手で俗受けを狙う面があり、江戸時代には隆盛を誇ったが、明治維新後の能楽衰退期に一九世家元権之丞は離京し、弟子たちは吾妻能狂言に参加して能楽界から絶縁されたり、他流に移ったりして、流儀としては大正時代に廃絶した。
    1. [初出の実例]「狂言は鷺流(サギリウ)で凹斎(へこさい)仁右衛門の直弟なる事是はこのあたりにかくれもないし」(出典安愚楽鍋(1871‐72)〈仮名垣魯文〉二)

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改訂新版 世界大百科事典 「鷺流」の意味・わかりやすい解説

鷺流 (さぎりゅう)

狂言の流派の一つ。江戸時代は観世座付で,幕府などに召し抱えられたが,明治時代に廃絶した。室町初期の路阿弥(ろあみ)を流祖とし,その芸系が兎太夫や日吉満五郎,その甥の宇治源右衛門らを経て,9世鷺三之丞まで伝えられてきたと伝承するが確かでなく,観世座付の狂言方として知られた者たちを家系に加えたにすぎないらしい。日吉満五郎は大蔵流和泉流でも芸を伝授したとされており,両流と同じ芸系にあることになる。三之丞の甥鷺仁右衛門宗玄(にえもんそうげん)が1614年(慶長19)に徳川家康の命で観世座付となり,流儀として確立した。宗玄はもと山城猿楽長命座や大和猿楽宝生座にも属したが,もともと京都で手猿楽の狂言として活動していて取り立てられたものと考えられる。鷺の流名の由来は,宗玄の親が水辺に住み,首が長かったからとか,先祖が狂言《鷺》を演じたときに奇瑞があったからなどと伝える。宗家は代々仁右衛門または権之丞と称し,宗玄の後,宗慶,宗悦,定義,政之,定朝,定賢,正迪,定行と継いだが,明治時代になって,19世権之丞を最後に廃絶した。分家に伝右衛門(でんえもん)家があり,独自の曲目台本を持って一派を成した。宗玄の甥政俊(了意)が伝右衛門家の初世で,その末子保教などが継いだが,幕府の滅亡とともに11世を最後に廃絶した。有力な弟子家として伝右衛門派の名女川六左衛門(なめかわろくざえもん)家などがあり,江戸時代には隆盛を誇ったが,明治時代になって,宗家に流儀を統率する能力がなく,弟子たちは能楽と歌舞伎の折衷演劇である吾妻能狂言(あづまのうきようげん)に参加して能楽界から絶縁されたり,他流に移ったりして流儀そのものが消滅するに至った。地方に広がった芸統は,新潟県や佐渡などに残り,今日も山口県に仁右衛門派の芸統を伝える人たちがいるが,地方芸能化して中央能楽界とは無縁である。

 台本は仁右衛門・伝右衛門両派それぞれの代々の宗家や各家のものがあるが,まとまったものとしては天理図書館蔵《鷺保教本》(1724以前の成立)が最古本である。江戸初期には両派それぞれ120曲あったが,しだいに曲数を増加させ,廃絶のころには205曲としていた。大蔵流と相違し,和泉流と共通する曲目・演出が少なくなく,本来は和泉流と同じ手猿楽の狂言であったことを示している。また大蔵流と共有する曲目ではことさら異を唱えようとしたところが目だち,対抗意識をうかがわせる。京都の観客に育てられた〈町風(まちふう)の狂言〉であったものが,幕府お抱えの〈四座(よざ)の狂言〉に変わろうとして,変わりきれなかったもののようである。流祖宗玄は身軽でにぎやかに舞台を動きまわり,俗受けする芸で人気を得たらしいが,その後の流儀の芸風もこれを継承し,万事に派手なものであったといわれる。それが明治時代に歌舞伎に接近する原因となり,流儀滅亡の遠因ともなったと考えられる。
狂言
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「鷺流」の意味・わかりやすい解説

鷺流
さぎりゅう

狂言の流派。大正以降,中央の能界からは滅びて現存しない。流祖を路阿弥とするが未詳。確かなのは大蔵虎明の『わらんべ草』にみえる 10世鷺仁右衛門宗玄で,彼は豊臣秀吉の不興を買い退けられたが,のち徳川家康に召出された。初め宝生座,のち観世座付となり,代々,鷺権之丞,のちに鷺仁右衛門と称した。分家に鷺伝右衛門家があった。明治維新で能楽が瓦解したおり,宗家は芸をやめて絶え,有力な職分も吾妻能狂言に走り,歌舞伎に近づいた。残った者も他流の脇役をつとめたりしていたが,明治末期までには,転業したり,死没したりして姿を消した。なお,新潟県や山口県には,地方芸能としてしろうとの手によりわずかにその名をとどめている。

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百科事典マイペディア 「鷺流」の意味・わかりやすい解説

鷺流【さぎりゅう】

狂言の流派の一つ。系図によると室町初期からの芸統で路阿弥が初世というが,10世鷺仁右衛門〔1558-1651〕(法名宗玄)を流祖と考えるのが普通。宗玄は徳川家康から観世座(観世流)専属を命じられた。写実的・即興的な芸風だったらしいが,明治になって19世鷺権之丞のとき滅びた。今日では新潟県佐渡などの地方に,わずかにその芸統が残されている。
→関連項目和泉流狂言

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