1880年代,鹿鳴館で西洋風の夜会などが盛行した欧化主義の時代。鹿鳴館の舞踏会に象徴される表面的な欧化政策は,井上馨(かおる)外務卿の条約改正を側面的に促進する役目をもっていたが,井上の失脚により幕を閉じた。近代化の多様な価値と可能性を内包していた文明開化とは異なり,あだ花ともいえる鹿鳴館時代は,同時期の国粋保存主義にも席を譲ることになった。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…以後,内外の外交官や上流人士が招かれ,園遊会,舞踏会,音楽会が催され,名流婦人による慈善市(バザー)も行われた。 政府高官や外国使臣などの舞踏会は連日のように開かれ,その様相は欧化政策の象徴となり,いわゆる鹿鳴館時代を現出させた。そうした風潮は,1887年4月20日に鹿鳴館ではなく伊藤博文首相の官邸で行われた仮装舞踏会で頂点に達した。…
※「鹿鳴館時代」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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