改訂新版 世界大百科事典 「麴座」の意味・わかりやすい解説
麴座 (こうじざ)
中世,酒やみその醸造に欠かすことのできないこうじを製造し,販売した商人の座。他の座と同様,領主に従属して年貢物を出し,それによって特権を認められ,一定地域に営業独占権を行使して他商人を排斥したものが多い。こうじはこうじ室を作って製造するため自給できず,したがって,麴座は各地に存在したはずである。しかし,史料に残存しているのは,和泉貝塚,若狭小浜,金沢など。大和では,興福寺の一乗院・大乗院門跡,あるいは春日社などに所属した諸座,元興寺,五位庄,曲川,平群,乙木,山口などの7座を数えることができる。山城では石清水八幡宮に所属した八幡杜郷の麴座が,すでに1309年(延慶2)姿をあらわす。
もっとも著名で,詳細を知ることのできるのは,北野天満宮に所属した西京(にしのきよう)麴座である。1379年(天授5・康暦1),史料に姿を見せ,北野所領である西京七保に居住して,西京神人(じにん)として,祭礼を奉仕することによって,課役免除の特権をもち,朝廷の造酒正が課した酒麴役さえ免除される特権を有した。やがて,西京の地はもちろん,洛中河東の地にまで専売権を行使するにいたった。1419年(応永26)には,足利義持の下知状を下付され,その専売権は幕府の保障するところとなった。幕府の〈御使〉の見ている前で,洛中河東西郊の酒屋の所有していたこうじ室は破却され,以後,こうじ室を構えてこうじを製造しない旨の酒屋の起請文が,52軒分残存している。しかし,酒屋のほうもそれでは納得せず,比叡山延暦寺西塔に援助を求めて争論を重ねた。1444年(文安1)には前年からひきつづいた争論は山門西塔の衆徒の日吉社神輿山上動座と閉籠,これに対抗する西京麴座神人の北野閉籠,幕府による北野社発向となり,北野社は焼亡するにいたった。以後,洛中河東の酒屋はこうじ製造を認められ,麴座の敗北に終わっている。天文年間(1532-55),訴訟は再燃し,麴座の独占権は認められたとはいえ,現実にはその権利を行使できず,楽座によって解体した。
執筆者:脇田 晴子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報