日本歴史地名大系 「麻生野村」の解説 麻生野村あそやむら 岐阜県:吉城郡神岡町麻生野村[現在地名]神岡町麻生野西と南の阿曾保(あそぼ)村・東雲(あずも)村境を高原(たかはら)川が北流し、支流そうこう谷が南西に流れる。東に枝村奥麻生野谷(おくあそやだに)・檜谷(ひのきだに)がある。東は石神(いしがみ)村、南は数河(すごう)村。慶長一〇年(一六〇五)の飛騨国郷帳では「殿村所々四村」に含まれ、同一八年の郷帳には村名はみえない。元禄検地反歩帳では高原郷に属し、高一五七石余、田八町六反余・畑一四町一反余。「飛騨国中案内」では免三割五分九厘余、家数四一(うち寺一・百姓三一・門屋七・地借二)、家作は萱葺。天明八年(一七八八)の村明細帳では、田八七石余・八町七反余、畑一三〇石余・二〇町二反余。「斐太後風土記」では村域縦一九町・横九町、家数・人数不明、おもな産物は桑五千九〇〇貫目・麻四八貫目・楮一二〇貫目・大繭一〇〇貫目・小繭三八〇貫目・布一八〇反・稲莚一二〇束・串柿二〇〇連・藍二五貫目・栗二〇石・カチ炭九〇貫目などがあった。 麻生野村あぞのむら 熊本県:山鹿市麻生野村[現在地名]山鹿市麻生野菊池川右岸の丘陵東裾部斜面に位置し、東・北は鍋田(なべた)村、西は椿井(つばい)村、南は保多田(ほだた)村と接する。村名は「鹿郡旧語伝記」によると往古より麻を作り、初め領主に捧げていたために村名を賜ったものという。天正一七年(一五八九)の検地帳によると田一一町六反一畝余・畠屋敷七町四反九畝余・屋敷筆数五、分米一九五石六斗余、下ケ名に権現免・若宮田などがある。正保郷帳の高一九七石余、うち田一四七石五斗余・畠四九石四斗余とある。近世は山鹿手永に属する。文政九年(一八二六)の同手永書付によると竈数三九・人数一九五、馬二六、大工三・屋根葺二、馬口労・紺屋・杣・石工各一、給人四。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by