麻生陣屋跡(読み)あそうじんやあと

日本歴史地名大系 「麻生陣屋跡」の解説

麻生陣屋跡
あそうじんやあと

[現在地名]麻生町麻生

麻生の中央部に位置する。麻生藩は慶長九年(一六〇四)新庄直頼が常陸国行方・河内新治にいはり真壁まかべ那珂、下野国芳賀はが都賀つが・河内の八郡に三万余石を与えられ、麻生を根拠地としたことに始まる(新庄家譜、寛政重修諸家譜)。延宝四年(一六七六)嗣子が無く断絶したが、同年に支族の新庄直時が一万石の大名に取立てられ再興(廃絶録、恩栄録)。以後その子孫が一万石の外様大名として廃藩まで存続した。

陣屋の構築年代は不明であるが、「麻生御殿向表御間取」と記された陣屋絵図(三好家所蔵)には、周囲に土手と柵をめぐらした広大な敷地と豪壮な藩邸が描かれている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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