黒田徳米(読み)クロダ トクベイ

20世紀日本人名事典 「黒田徳米」の解説

黒田 徳米
クロダ トクベイ

明治〜昭和期の貝類学者 日本貝類学会名誉会長。



生年
明治19(1886)年10月17日

没年
昭和62(1987)年5月15日

出生地
兵庫県三原郡福良町向谷

学位〔年〕
理学博士(京大)〔昭和22年〕

主な受賞名〔年〕
勲四等旭日小綬章〔昭和41年〕,神戸新聞平和賞〔昭和53年〕,西宮市市民文化賞〔昭和53年〕,兵庫県高齢者特別賞〔昭和59年〕

経歴
貝の研究で世界的に知られ、「貝の牧野富太郎」ともいわれた。昭和2年から50回、天皇陛下にご進講。京大理学部助手や非常勤研究員を長く務め、この間日本貝類学会を創設。日本貝類総目録といわれる「日本産海棲貝類目録」などを刊行した。昭和2年、陛下奄美大島へ貝類調査のお供をしてから研究のご相談やご進講役を務めた。100歳を迎えた61年10月17日には陛下から誕生祝いとして貝の装飾をあしらった文箱が贈られた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「黒田徳米」の意味・わかりやすい解説

黒田徳米
くろだとくべい
(1886―1987)

貝類分類学者。日本の貝類分類学創成期における随一の研究者。兵庫県淡路島福良(ふくら)に生まれる。1901年(明治34)京都に移り、平瀬与一郎が創設した平瀬介館(のち平瀬貝類博物館)に勤め、事業を助けるとともに貝類研究に従事。1921年(大正10)京都帝国大学理学部地質学鉱物学教室助手となり、標本・図書の維持管理にあたり、1937年(昭和12)台北帝国大学理農学部に転じ、1940年辞任した。以後、京都帝大理学部附属瀬戸臨海実験所、資料科学研究所、連合国最高司令部(GHQ)天然資源局などに嘱託顧問として関与した。この間、1928年日本貝類学会設立に参画、1948~1963年(昭和23~38)同学会会長、以後名誉会長となる。多数の研究論文を著し、多くの後継研究者を育成した。焼失するような財物などは持たざるにしかず、として貝集めを廃し、手記記録をもっぱらとした。1947年京都大学より理学博士の学位を授与された。

[原田英司]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「黒田徳米」の解説

黒田徳米 くろだ-とくべい

1886-1987 明治-昭和時代の生物学者。
明治19年10月17日生まれ。小学校卒業後,京都の平瀬貝類博物館につとめ,貝類の研究をおこなう。大正10年京都帝大助手。昭和3年日本貝類学会の創設にかかわり,のち会長となる。日本産貝類の分布種類をあきらかにし,「日本産海棲貝類目録」などを刊行した。昭和62年5月15日死去。100歳。兵庫県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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