日本大百科全書(ニッポニカ) 「黒石藩」の意味・わかりやすい解説
黒石藩
くろいしはん
江戸後期、陸奥(むつ)国津軽郡黒石周辺を領した外様(とざま)小藩。現在の青森県黒石市にあたる。弘前(ひろさき)藩主津軽(つがる)氏の支藩。1656年(明暦2)2月津軽信英(のぶふさ)が兄信義(のぶよし)(弘前藩主)の遺領のうち、陸奥国津軽郡および上野(こうずけ)国(群馬県)勢多(せた)郡のうちにおいて5000石を与えられ、幕臣として寄合(よりあい)に列した。2代信敏(のぶとし)は、1662年(寛文2)12月家督相続にあたって、1000石を弟信純(のぶずみ)に分与し、残り4000石を領した。1809年(文化6)8代親足(ちかたる)のとき、宗藩より蔵米6000石を再分与されて大名に列し、黒石藩が成立、1871年(明治4)廃藩置県まで続いた。この間、1698年(元禄11)6月3代政兕(まさたけ)のとき、上野国勢多郡の領地が収公され、陸奥国津軽郡の内と伊達(だて)郡秋山村(福島県川俣(かわまた)町)の内に移され、秋山村高1150石8斗8升のうち370石余が黒石領となった。分領の支配は当初秋山村名主佐藤長左衛門が行い、1730年(享保15)からは割元(わりもと)役高橋清左衛門が代官役となり、知行50石を拝領したという。
[誉田 宏]