黙啜可汗(読み)もくてつかがん(その他表記)Mo-chuo Ke-han; Mu-ch`o K`o-han

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「黙啜可汗」の意味・わかりやすい解説

黙啜可汗
もくてつかがん
Mo-chuo Ke-han; Mu-ch`o K`o-han

[生]?
[没]716
復興後の突厥カガン (在位 691~716) 。突厥碑文ではカプガン・カガンと記される。 691年兄の阿史那骨咄禄死後,その子の幼いのに乗じて位を奪い,カガンとなった。その在位中,奚,契丹キルギスタングート,さらにはバスミル,チュルギシュ (突騎施) などの諸部を破り,領域を拡大するとともに東西交通の要地を押え,再び突厥の隆盛をもたらした。しかし晩年には政治が乱れて鉄勒諸部の反乱を招き,これを押えたものの,バイルク (抜曳固)の襲撃にあって殺された。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の黙啜可汗の言及

【突厥】より

…これ以後を突厥第二可汗(帝)国と呼ぶ。頡跌利施可汗の弟,黙啜(カプガンQapghan)可汗時代に,東は契丹,北はキルギス,西はビシュバリクのバスミルおよびイルティシュ川方面のトゥルギシュを討ち,さらに頡跌利施可汗の子ビルゲ・ハガンが直系を復活して弟の闕特勤(キョル・テギンKöl Tegin。685‐731)とともに,父の代からの功臣トニユククTonyuquq(阿史徳元珍)の助言を得ながら遊牧騎馬国家の復興を成し遂げた。…

※「黙啜可汗」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む