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志貴皇子 しきのみこ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

志貴皇子
しきのみこ

[生]?
[没]霊亀2(716)
天武朝~奈良時代初期の皇族政治家,万葉歌人。施基,芝基,志紀とも記す。天智天皇の第7皇子で,母は越道君伊羅都売 (こしのみちのきみいらつめ) 。光仁天皇湯原王,榎井王の父。天武8 (679) 年の吉野での盟約に加わり,持統3 (689) 年に撰善言司。大宝3 (703) 年太上天皇の御葬送の造御竈長官。慶雲4 (707) 年文武天皇崩御のとき殯宮 (ひんきゅう) に供奉する。霊亀1 (715) 年二品。のちに春日宮御宇天皇と追尊され,田原天皇とも称された。『万葉集』に短歌6首を残す。歌数は少いが流麗明快で新鮮な感覚をもつ歌風は高く評価されている。

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デジタル大辞泉の解説

しき‐の‐みこ【志貴皇子/施基皇子】

[?~716ころ]奈良初期の歌人。天智天皇の第7皇子。光仁天皇の父。万葉集に短歌6首が載る。

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百科事典マイペディアの解説

志貴皇子【しきのみこ】

《万葉集》の歌人。天智天皇の皇子。母は越道君伊羅都女(こしのみちのきみのいらつめ)。没年については2説がある。光仁天皇の父で,その即位に伴い御春日宮天皇と追尊された。

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世界大百科事典 第2版の解説

しきのみこ【志貴皇子】

?‐715か716(霊亀1か2)
《万葉集》の歌人。活躍は藤原京時代で,柿本人麻呂と同時期。天智天皇の皇子。母は越道君伊羅都売(こしのみちのきみのいらつめ)。奈良時代最後の光仁天皇の父で,追尊して春日宮天皇,また田原天皇とも称される。万葉歌人湯原王(ゆはらのおおきみ)らの父でもある。天武朝ではすでに成年に達していたと思われ,679年(天武8)5月,吉野宮における有力皇子の盟約に参加している。しかし,続く持統朝では不遇であったらしく,689年(持統3)6月,撰善言司(よきことえらぶつかさ)に任じられたほか要職についていない。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

志貴皇子
しきのみこ
(?―715/716)

『万葉集』の歌人。活躍は藤原京時代。天智(てんじ)天皇の皇子。母は道君伊羅都売(みちのきみのいらつめ)。光仁(こうにん)天皇の父で、追尊して春日宮(かすがのみや)天皇、また田原(たわら)天皇とも。万葉歌人湯原王(ゆはらのおおきみ)らの父でもある。天武(てんむ)朝にはすでに成年に達していたらしい。持統(じとう)朝には不遇であった。作品は短歌6首で少ないが、明快、流麗なリズムで新鮮さがあり、繊細な面も認められる。また寓意(ぐうい)を含むと思われる歌、機知的な歌もある。なお皇子の死を悼(いた)む笠金村(かさのかなむら)の挽歌(ばんか)が巻2に収録されている。この題詞が715年(霊亀1)没と伝え、『続日本紀(しょくにほんぎ)』が716年没とする。
 石(いは)ばしる垂水(たるみ)の上のさ蕨(わらび)の萌(も)え出(い)づる春になりにけるかも[橋本達雄]

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