《万葉集》の歌人。活躍は藤原京時代で,柿本人麻呂と同時期。天智天皇の皇子。母は越道君伊羅都売(こしのみちのきみのいらつめ)。奈良時代最後の光仁天皇の父で,追尊して春日宮天皇,また田原天皇とも称される。万葉歌人湯原王(ゆはらのおおきみ)らの父でもある。天武朝ではすでに成年に達していたと思われ,679年(天武8)5月,吉野宮における有力皇子の盟約に参加している。しかし,続く持統朝では不遇であったらしく,689年(持統3)6月,撰善言司(よきことえらぶつかさ)に任じられたほか要職についていない。作品は短歌6首と少ないが,秀作が多く,とくに〈石(いわ)ばしる垂水(たるみ)の上のさ蕨(わらび)の萌え出づる春になりにけるかも〉(巻八)は,明るくはずむように流麗なリズムで張りがあり,人々に親しまれている。また温雅にして繊細な歌や機知に富んだ歌もある。なお,皇子の死を悼む笠金村(かさのかなむら)の長短歌から成る挽歌が巻二に収録されている。
執筆者:橋本 達雄
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『万葉集』の歌人。活躍は藤原京時代。天智(てんじ)天皇の皇子。母は道君伊羅都売(みちのきみのいらつめ)。光仁(こうにん)天皇の父で、追尊して春日宮(かすがのみや)天皇、また田原(たわら)天皇とも。万葉歌人湯原王(ゆはらのおおきみ)らの父でもある。天武(てんむ)朝にはすでに成年に達していたらしい。持統(じとう)朝には不遇であった。作品は短歌6首で少ないが、明快、流麗なリズムで新鮮さがあり、繊細な面も認められる。また寓意(ぐうい)を含むと思われる歌、機知的な歌もある。なお皇子の死を悼(いた)む笠金村(かさのかなむら)の挽歌(ばんか)が巻2に収録されている。この題詞が715年(霊亀1)没と伝え、『続日本紀(しょくにほんぎ)』が716年没とする。
石(いは)ばしる垂水(たるみ)の上のさ蕨(わらび)の萌(も)え出(い)づる春になりにけるかも
[橋本達雄]
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