鼬川(読み)いたちがわ

日本歴史地名大系 「鼬川」の解説

鼬川
いたちがわ

神通川の支流で一級河川。現在正式にはいたち川と記す。常願寺川左岸の大山おおやま馬瀬口ませぐち・富山市西番にしのばん分流し、すぐに常西じようさい合口用水を分ける。富山市のほぼ中央を北流して同市中心部に入り、市街北部の今木いまき橋付近でまつ川を、その北の赤江あかえ橋付近で西流してきた赤江川を合流し、西に湾曲して富山駅北側を西流、富岩ふがん運河の西側を北流して富山市興人こうじん町で神通川に流入する。流路延長一四・八八キロ。天正九年(一五八一)頃、常願寺川洪水のとき堤がイタチの一穴から崩壊し大氾濫したが、富山城主佐々成政が流路を固定させ、鼬川としたという伝承がある。

上杉謙信が椎名康胤方が拠る富山城を攻略した際、「上杉年譜」によると三月一八日に「越中ノ敵兵鼬川ニ発向」したという。

鼬川
いたちがわ

天王寺てんのうじ(現天王寺区)の西端部を最上流とし、難波なんば村と木津きづ村の境を西流、今宮いまみや村を経て木津川に注いでいたが、埋立てにより消滅。木津川との合流点には元禄一二年(一六九九)難波島の中央の掘割によってできた月正がつしよう島があって、月正島の東側を流れる木津川分流に注ぐ形となっていた。分流は鼬川を合せてのち、木津川本流に合流、この間を七瀬ななせ川とよんだ。また宝永二年(一七〇五)には鼬川合流点の少し下流と大和川を結ぶ十三間じゆうさんげん川が開削されている。当川は古代に開削された運河とする説があるがつまびらかでない。明暦―寛文年間(一六五五―七三)近世大坂地図に、当川に相当する小河川が描かれ「大和大川ノ古水道」とあり、自然河川とも考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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