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前田普羅 まえだふら

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

前田普羅
まえだふら

[生]1884.4.18. 東京
[没]1954.8.8. 東京
俳人。本名,忠吉。 1912年に俳句界の新人として高浜虚子に激賞され『ホトトギス』派の一翼をになった。都会人としてのモダンさをもつ反面,自然への憧れも強く,特に北陸の風景をうたって名をなした。

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百科事典マイペディアの解説

前田普羅【まえだふら】

俳人。本名忠吉(ちゅうきち)。東京生れ。早大英文科中退。高浜虚子に師事し《ホトトギス》で活躍。俳誌《辛夷(こぶし)》主宰。句風は雄勁(ゆうけい),すぐれた山岳詠で知られている。
→関連項目村上鬼城

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

前田普羅 まえだ-ふら

1884-1954 大正-昭和時代の俳人。
明治17年4月18日生まれ。官吏などをへて,時事新報,報知新聞の記者となる。大正はじめより「ホトトギス」に投稿し,高浜虚子(きょし)にみとめられ飯田蛇笏(だこつ)らとともに虚子門の四天王にかぞえられた。富山で「辛夷(こぶし)」を主宰。自然,山岳をよんだ句がおおい。昭和29年8月8日死去。70歳。東京出身。早大中退。本名は忠吉。句集に「普羅句集」など。
【格言など】駒ケ岳凍(い)てて巌(いはほ)を落しけり(「甲斐の山々」)

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

前田普羅
まえだふら
(1884―1954)

俳人。東京生まれ。本名忠吉(ちゅうきち)。早稲田(わせだ)大学英文科に学んだが、中退して会社、裁判所に勤め、のち『報知新聞』記者となる。大正初期より『ホトトギス』に投句し原石鼎(せきてい)と並称され、また村上鬼城(きじょう)、飯田蛇笏(だこつ)らと高浜虚子(きょし)門四天王に数えられた。1924年(大正13)より富山に住み、格調のある山岳俳句が世評高い。26年より『辛夷(こぶし)』を主宰し、29年(昭和4)より俳句一途の生活に入ったが、戦火により東京、川崎に転々、病気がちの晩年を送った。句集『春寒浅間山』(1943)、『飛騨紬(ひだつむぎ)』(1947)、『能登(のと)青し』(1950)の三部作などがある。[村山古郷]
 駒ヶ嶽(こまがたけ)(い)てゝ巌(いわお)を落しけり
『『定本普羅句集』(1972・辛夷社)』

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