20世紀日本人名事典 「前田普羅」の解説
前田 普羅
マエダ フラ
大正・昭和期の俳人
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
大正・昭和期の俳人
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俳人。東京生まれ。本名忠吉(ちゅうきち)。早稲田(わせだ)大学英文科に学んだが、中退して会社、裁判所に勤め、のち『報知新聞』記者となる。大正初期より『ホトトギス』に投句し原石鼎(せきてい)と並称され、また村上鬼城(きじょう)、飯田蛇笏(だこつ)らと高浜虚子(きょし)門四天王に数えられた。1924年(大正13)より富山に住み、格調のある山岳俳句が世評高い。26年より『辛夷(こぶし)』を主宰し、29年(昭和4)より俳句一途の生活に入ったが、戦火により東京、川崎に転々、病気がちの晩年を送った。句集『春寒浅間山』(1943)、『飛騨紬(ひだつむぎ)』(1947)、『能登(のと)青し』(1950)の三部作などがある。
[村山古郷]
駒ヶ嶽(こまがたけ)凍(い)てゝ巌(いわお)を落しけり
『『定本普羅句集』(1972・辛夷社)』
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