龍源寺跡(読み)りゆうげんじあと

日本歴史地名大系 「龍源寺跡」の解説

龍源寺跡
りゆうげんじあと

[現在地名]串間市市木

市木いちき川左岸の古都ふるとにあった臨済宗寺院。江戸時代は高鍋たかなべ(現高鍋町)龍雲りようおん寺末寺。瑞雲山と号し、阿弥陀如来本尊とした。明治三年(一八七〇)廃寺となり、跡地に現在市木中学校が建つ。境内にあった墓地は校庭南の丘陵一隅に移され、五〇基ほどの室町期の五輪石塔群、住職墓、江戸時代初期の高鍋藩家中の墓が現存する。

天保五年(一八三四)高鍋藩寺社帳(高鍋町歴史総合資料館蔵)に和銅元年(七〇八)徹堂開基とみえるがつまびらかではない。貞享三年(一六八六)の高鍋藩寺社帳によれば、「中興開山徹堂禅師」は暦応元年(一三三八)に没している。朱子学薩南学派の祖といわれる桂庵玄樹が島津忠昌に招かれ、文明一〇年(一四七八)薩摩に入り留錫、のち龍源寺にも掛錫した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

梅雨の季節に入ること。つゆ入り。毎年6月中旬~7月中旬の約1ヵ月間,九州から東北地方は梅雨の季節に入る。これは,北方のオホーツク海高気圧と南方の小笠原高気圧とに挟まれて,揚子江流域から九州,四国,本州...

入梅の用語解説を読む