日本歴史地名大系 「龍源寺跡」の解説
龍源寺跡
りゆうげんじあと
天保五年(一八三四)の高鍋藩寺社帳(高鍋町歴史総合資料館蔵)に和銅元年(七〇八)徹堂開基とみえるがつまびらかではない。貞享三年(一六八六)の高鍋藩寺社帳によれば、「中興開山徹堂禅師」は暦応元年(一三三八)に没している。朱子学薩南学派の祖といわれる桂庵玄樹が島津忠昌に招かれ、文明一〇年(一四七八)薩摩に入り留錫、のち龍源寺にも掛錫した。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報