デジタル大辞泉
「陶淵明」の意味・読み・例文・類語
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とう‐えんめいタウ‥【陶淵明】
- 中国東晉の詩人。名は潜。淵明は字(あざな)。二九歳で仕官したがすぐに辞し、以後召されても官に就かなかった。四一歳のとき再び仕官したが数か月で辞して帰郷し、「帰去来辞」を作った話は有名。叙景詩にすぐれ、日本でも古来から愛好される。著に「陶彭沢集」。(三六五‐四二七)
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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陶淵明
とうえんめい
Tao Yuan-ming
[生]興寧3(365)
[没]元嘉4(427)
中国,六朝時代の東晋末~南朝宋初の詩人。潯陽 (じんよう) 柴桑 (江西省星子県) の人。名は潜。一説に名が淵明,字を元亮ともいう。諡は靖節。東晋初の名将陶侃 (とうかん) の曾孫とされるが確かではない。下級貴族の出身で,生活のため 29歳頃から数回官途についたが,肌に合わず,義煕1 (405) 年彭沢 (ほうたく) 県令をわずか 80日で辞し,『帰去来辞』にその気持を託して故郷に帰り,田園で農耕生活をおくった。あまり技巧を用いない平淡な詩風は,当時は軽視されたが,唐以後は六朝最大の詩人として名が高くなった。『五柳先生伝』『桃花源記』など散文にもすぐれ,また志怪小説集『捜神後記』の作者にも擬せられている。日本でも最も愛読されている中国詩人の一人。
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陶 淵明
とうえんめい
365〜427
東晋〜南北朝の宋の詩人
名は潜,淵明は字 (あざな) 。晋の名臣陶侃 (とうかん) の曾孫。壮年のころ国事に奔走し,のち官途についたが,束縛をきらい世に隠れて一生を過ごした。彭沢 (ほうたく) 県令となったが,3か月足らずで『帰去来辞』を作って故郷に帰り,清貧に甘んじながら,酒と菊を愛して自適の生活を送った。その詩は時流に超然として平淡かつ自然である。
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
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陶淵明 (とうえんめい)
Táo Yuān míng
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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世界大百科事典(旧版)内の陶淵明の言及
【九江】より
…解放後,省直轄市となり,別に九江県があり,県治は市の南西の沙河鎮に置かれている。廬山は中国有数の名勝地であり,また市内には能仁寺大勝塔,烟水亭などの古跡があり,県南部の馬回嶺には陶淵明の墓がある。もともと九江の名は,《尚書》禹貢にみえ,その解釈をめぐっては古くから多くの説があるが,一般には今の九江市の北,湖北省南東部の,多くの河川が長江に合流していた地域を指すものとされている。…
【詩】より
…詩について記述することはできても,詩を定義することはむずかしいといわれる。とりわけ日本語で〈詩〉といった場合には事情が複雑である。詩という呼称はもともと中国の文芸上の一様式をさすものであり,江戸時代までは詩といえばいわゆる漢詩をさしていたが,明治以降,西欧文芸におけるポエトリーpoetry(英語)またはポエジーpoésie(フランス語)の理念が導入された結果,現在では,詩といえば狭義には文芸の一部門としての新体詩およびそれ以後の近代詩,現代詩をさしながら,広義には言語芸術のうちで散文に対立する韻文芸術の総体を包括的にさすこともある言葉となった。…
【重陽】より
…呉自牧の《夢粱録》によれば,これによって,陽九の厄(本来,世界の終末を意味する陰陽家の語)を消すという。ちなみに,東晋の陶淵明は菊と酒を愛した詩人として有名であり,重陽節との関係も深い。北宋以後,重陽節は菊花をめでる日ともなり,種類の飛躍的な増加とともに,菊の鉢を山や塔の形に陳列したり,展覧会が開かれたりした。…
【陶潜】より
…同時代の人からは特異な詩人として遇されていたが,唐・宋以降になってはじめて安定した高い評価を得た。《陶淵明集》5巻がある。死後靖節(せいせつ)と諡(おくりな)された。…
※「陶淵明」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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