大谷 光明(読み)オオタニ コウミョウ

20世紀日本人名事典 「大谷 光明」の解説

大谷 光明
オオタニ コウミョウ

明治〜昭和期の僧侶,アマゴルファー 元・真宗本願寺派(西本願寺)管長事務代理。



生年
明治18(1885)年4月26日

没年
昭和36(1961)年4月3日

出生地
京都府京都市下京区堀川通花屋町下ル本願寺門前町

別名
法号=浄如

学歴〔年〕
文学寮卒

経歴
真宗大谷派(西本願寺)第21世法主・光尊(明如)の三男。明治32年に法主の後継者となったが、大正3年引退。この間、明治40年欧米に遊学語学とゴルフを身につけ、大正14年再び欧米を回り社会事業を視察。帰国後真宗保摂会会長、浄土真宗本願寺派審判院長、日本教学研究所長を歴任。明治39〜42年と昭和14〜16年本願寺派管長事務代理を務めた。一方、大正3年東京ゴルフクラブ会員となり、日本ゴルフ協会を創立、ルールブックの翻訳トーナメントの競技委員長などを務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大谷 光明」の解説

大谷光明 おおたに-こうみょう

1885-1961 明治-昭和時代の僧。
明治18年4月26日生まれ。大谷光尊の3男。大谷光瑞(こうずい)の弟。明治38年浄土真宗本願寺派の執行(しゅぎょう)長となり,43年法嗣。同派審判院長,日本教学研究所長などを歴任。また明治39年と昭和14年の2度管長事務代理となった。昭和36年4月3日死去。75歳。京都出身。文学寮(現竜谷(りゅうこく)大)卒。前名は尊重。法名は浄如。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例