尾津 喜之助(読み)オヅ キノスケ

20世紀日本人名事典 「尾津 喜之助」の解説

尾津 喜之助
オヅ キノスケ

昭和期の露天商 関東尾津組組長。



生年
明治30(1897)年1月28日

没年
昭和52(1977)年6月28日

出生地
東京・本所

経歴
テキヤ関東尾津組組長として、戦後新宿東口の焼け跡に青空マーケットを作り「光は新宿より」のキャッチ・フレーズで売り出す。昭和22年衆院選に立候補したが次点。マーケットの土地所有者の中村屋などから明渡し請求を受け、拒絶したため紛争となり、二度にわたり暴力恐喝罪などで検挙される。35年羽田ハガチー事件の際には全日本神農憂国同志会を結成。東京露店商同業組合理事長として約7万人を傘下に“街の商工大臣”と称された。暴力団には陰然たる威勢を持っていた。著書に「新やくざ物語」の他、長女・豊子による伝記「光は新宿より」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「尾津 喜之助」の解説

尾津喜之助 おづ-きのすけ

1898-1977 昭和時代後期の露天商。
明治31年1月28日生まれ。戦後,関東尾津組組長となり東京新宿東口に青空マーケットを開設。7万人を擁する東京露天商同業組合の理事長に就任した。昭和22年恐喝容疑で検挙され組を解散。六○年安保闘争では全日本神農憂国同志会を結成し安保改定を支援した。昭和52年6月28日死去。79歳。東京出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「尾津 喜之助」の解説

尾津 喜之助 (おづ きのすけ)

生年月日:1898年1月28日
昭和時代の露天商。関東尾津組組長
1977年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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