川喜田 半泥子(1代目)(読み)カワキタ ハンデイシ

20世紀日本人名事典 の解説

川喜田 半泥子(1代目)
カワキタ ハンデイシ

大正・昭和期の陶芸家,実業家 百五銀行頭取



生年
明治11(1878)年11月6日

没年
昭和38(1963)年10月26日

出生地
大阪府大阪市東区本町

出身地
三重県津市

本名
川喜田 久太夫(カワキタ キュウダユウ)

別名
名=政令,別号=泥仏堂,無茶法師,莫迦野廬,鳴穂堂主人,法名=仙鶴院半泥自在大居士

学歴〔年〕
早稲田専門学校(現・早稲田大学)〔明治32年〕卒

経歴
三重県津市の素封家・川喜田家の16代目。家業の木綿店のほか電力、銀行などの家業に関係し、大正8年から昭和20年まで百五銀行の頭取を務めた。一方、陶芸を志し、大正14年津市郊外千歳山に築窯、昭和22年には広永窯を開き、禅の心で自分の心に忠実に遊びに徹して、志野茶碗を中心に陶芸をつづけた。平成3年回顧展。著書に「随筆泥仏堂目録」「乾山考」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

川喜田半泥子
かわきたはんでいし
(1878―1963)

陶芸作家、文人本名川喜田久太夫政令。半泥子、泥仏堂、無茶法師、紺野浦二、其飯、莫迦耶盧主人などの号がある。三重県津の素封家川喜田家の第16代にあたり、実業家として活躍する一方で、書画俳句茶道などをたしなむ文人生活に入り、1912年(大正1)楽窯(らくがま)を津市内の自邸に築き、晩年には同市の広永(ひろなが)に窯を移して弟子養育にも尽力した。現代の代表的な数寄(すき)陶工として、とくに茶碗(ちゃわん)に優れた力量を発揮し、古格に縛られない無縫な作振りを示して、高く評価される。『泥仏堂回録』『乾山考』などの著作もある。

[矢部良明]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus の解説

川喜田半泥子 かわきた-はんでいし

川喜田久太夫(かわきた-きゅうだゆう)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 の解説

川喜田 半泥子 (かわきた はんでいし)

生年月日:1878年11月6日
大正時代;昭和時代の実業家;陶芸家
1963年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報