平野 勇造(読み)ヒラノ ユウゾウ

20世紀日本人名事典 「平野 勇造」の解説

平野 勇造
ヒラノ ユウゾウ

明治〜昭和期の建築家



生年
元治1年11月23日(1864年)

没年
昭和26(1951)年2月9日

出生地
陸奥北郡(青森県大畑町)

旧姓(旧名)

別名
幼名=七五郎,筆名=堺 冒嶽

学歴〔年〕
カリフォルニア大学卒

経歴
明治14年から青森県野辺地の大地主の下で働くが、21歳の時に大志を抱いて渡米。皿洗いなどで糊口をしのぎながらカリフォルニア大学に学び、建築学を修めた。22年に帰国して建築家として立ち、東京・芝愛宕山の五重塔丸ビルなどの設計従事。のち三井物産に入社し、上海支店に約20年間勤務して同支店長などを務めた。この間、上海の日本領事館の設計・建設に携わっている。法学者・平和運動家の平野義太郎長男

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「平野 勇造」の解説

平野勇造 ひらの-ゆうぞう

1864-1951 明治-昭和時代前期の建築家。
元治(げんじ)元年11月23日生まれ。平野義太郎の父。明治18年渡米し,苦学してカリフォルニア大を卒業。帰国後,東京芝愛宕山(あたごやま)の五重塔,丸ビルの設計にかかわる。のち三井物産上海支店長となり,上海の日本領事館を設計した。昭和26年2月9日死去。86歳。陸奥(むつ)北郡(青森県)出身旧姓は堺。幼名は七五郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

五節舞

日本の上代芸能の一つ。宮廷で舞われる女舞。大歌 (おおうた) の一つの五節歌曲を伴奏に舞われる。天武天皇が神女の歌舞をみて作ったと伝えられるが,元来は農耕に関係する田舞に発するといわれる。五節の意味は...

五節舞の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android