広川 弘禅(読み)ヒロカワ コウゼン

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「広川 弘禅」の解説

広川 弘禅
ヒロカワ コウゼン


肩書
農相,衆院議員(自民党)

本名
広川 弘

生年月日
明治35年3月31日

出生地
福島県石川郡玉川村

学歴
曹洞宗大学(現・駒沢大学)中退

経歴
寺院に生まれる。大正8年上京し、東京労組役員から東京府議(社会民衆党)となり、のち政友会から都議を経て、昭和15年衆院議員に当選戦前は鳩山派に属す。戦後吉田茂側近として、26年自由党総務会長、第3次吉田内閣の農相などを務めたが、やがて吉田と対立して、28年農相を罷免された。

没年月日
昭和42年1月7日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「広川 弘禅」の解説

広川 弘禅
ヒロカワ コウゼン

昭和期の政治家 農相;衆院議員(自民党)。



生年
明治35(1902)年3月31日

没年
昭和42(1967)年1月7日

出生地
福島県石川郡玉川村

本名
広川 弘

学歴〔年〕
曹洞宗大学(現・駒沢大学)中退

経歴
寺院に生まれる。大正8年上京し、東京労組役員から東京府議(社会民衆党)となり、のち政友会から都議を経て、昭和15年衆院議員に当選。戦前は鳩山派に属す。戦後は吉田茂の側近として、26年自由党総務会長、第3次吉田内閣の農相などを務めたが、やがて吉田と対立して、28年農相を罷免された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「広川 弘禅」の意味・わかりやすい解説

広川弘禅
ひろかわこうぜん

[生]1902.3.31. 福島
[没]1967.1.7. 東京
政治家。苦学し駒澤大学中退。東京市議会議員,都議会議員を経て 1940年衆議院議員に当選。第2次世界大戦後,自由党吉田茂側近の党人派政治家として重用され,幹事長,総務会長,農相を歴任した。しかし 53年,党内抗争から吉田に反旗を翻し農相を罷免され,鳩山一郎の分党派自由党に投じたが,同年の総選挙落選。 55年カムバックしたが,不遇のまま死去

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「広川 弘禅」の解説

広川弘禅 ひろかわ-こうぜん

1902-1967 昭和時代の政治家。
明治35年3月31日生まれ。東京府会議員をへて,昭和15年衆議院議員(当選6回)。戦後,吉田茂の側近として第3・第4次吉田内閣の農相。また民主自由党幹事長,自由党総務会長などを歴任。28年吉田と対立し,鳩山派に属した。昭和42年1月7日死去。64歳。福島県出身。曹洞宗大(現駒沢大)中退。本名は弘。

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367日誕生日大事典 「広川 弘禅」の解説

広川 弘禅 (ひろかわ こうぜん)

生年月日:1902年3月31日
昭和時代の政治家。衆議院議員
1967年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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