広田 精一(読み)ヒロタ セイイチ

20世紀日本人名事典 「広田 精一」の解説

広田 精一
ヒロタ セイイチ

明治〜昭和期の電機学校創立者,オーム社創業者



生年
明治4年10月20日(1871年)

没年
昭和6(1931)年1月25日

出生地
広島県

学歴〔年〕
東京帝国大学〔明治29年〕卒

学位〔年〕
工学博士

経歴
大学卒業後、ドイツのシーメンス・ハルスケに入社。帰国後、明治40年電機学校(現・東京電機大学)を創立し、出版部を設置。大正3年学校の付帯事業として電気工学の専門雑誌「OHM」をオーム社発行として創刊。11年同社を学校から独立させ、株式会社に改組、理工学専門の出版社とした。この間、10年から神戸工業高校校長も務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「広田 精一」の解説

広田精一(2) ひろた-せいいち

1871-1931 明治-昭和時代前期の学校経営者,出版経営者。
明治4年10月20日生まれ。40年電機学校(現東京電機大)を創立し,出版部を設置。大正3年電気工学の専門雑誌「OHM(オーム)」をオーム社発行として創刊。11年オーム社を学校から独立させて株式会社に改組,理工学専門出版社とした。神戸高工校長もつとめた。昭和6年1月25日死去。61歳。広島県出身。帝国大学卒。

広田精一(1) ひろた-せいいち

1840-1864 幕末武士
天保(てんぽう)11年6月28日生まれ。下野(しもつけ)宇都宮藩士。大橋訥庵(とつあん)にまなび,藩校修道館の教授となる。尊攘(そんじょう)派として江戸,京都で活動する。禁門の変で長州軍にくわわり,敗れて元治(げんじ)元年7月21日真木和泉(いずみ)らとともに天王山自刃(じじん)。25歳。名は執中。号は東海。変名に太田民吉など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「広田 精一」の解説

広田精一 (ひろたせいいち)

生年月日:1840年6月28日
江戸時代末期の下野宇都宮藩士
1864年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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