瀬名村(読み)せなむら

日本歴史地名大系 「瀬名村」の解説

瀬名村
せなむら

[現在地名]静岡市瀬名一―七丁目・瀬名・瀬名中央せなちゆうおう一―四丁目・東瀬名町ひがしせなちよう南瀬名町みなみせなちよう瀬名川せながわ一―二丁目

庵原郡に所属。瀬名川村鳥坂とりさか(現清水市)の西に位置し、当村西端を南流する長尾ながお川はともえ川に合流する。古代の廬原いおはら西奈せな郷の遺称地とされ、中世には瀬名・瀬名郷と称された。一説に瀬名の地名は、竜爪りゆうそう(長尾川)の水が少ない時は当村上流から伏流水となり、当村下流の弁天べんてん池へ出るため無瀬の義をとったという(駿河記)。寛永九年(一六三二)幕府領、同一〇年旗本大久保領となり幕末に至る(「寛政重修諸家譜」など)。元禄郷帳では高一千三三七石余。旧高旧領取調帳では大久保領で高は同じ。嘉永二年(一八四九)には家数一八〇・人数九五三、江尻えじり宿(現清水市)助郷村のうち第一の大郷であった(西奈村誌)


瀬名村
しにやむら

[現在地名]和泊町瀬名せな

現和泊町の南西部、内城ぐすく村の西方こし山山麓に位置する。北部は海に面し、急峻な隆起珊瑚礁断層崖となっており、北西部には急勾配のネーキニャ泊(内喜名浜)がある。地名のシニャは越山の北隅にある焼畑地名に由来すると考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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