花柳 はるみ(読み)ハナヤギ ハルミ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「花柳 はるみ」の解説

花柳 はるみ
ハナヤギ ハルミ


職業
女優

本名
糟谷 いし

別名
前名=花柳 春美

生年月日
明治29年 2月24日

出身地
茨城県 鹿島郡豊津村大船津(鹿嶋市)

学歴
麹町高女卒

経歴
大正4年島村抱月と松井須磨子の芸術座研究生となり、帝劇公演「その前夜」で初舞台。6年踏路社に参加、7年天活の帰山教正の純映画劇「生の輝き」に出演、映画女優第1号となった。次いで「深山乙女」、8年「白菊物語」に主演。9年松竹キネマ蒲田などを経て舞台専念。11年汐見洋の研究座で「かもめ」などに出演。13年築地小劇場創立でチェーホフの「桜の園」などに出演。15年戸をたたく座結成、フリーの形で昭和4年まで新劇協会に出演、中でも村山知義プロレタリア演劇に傾倒した。昭和3年結婚を機に引退

没年月日
昭和37年 10月11日 (1962年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「花柳 はるみ」の解説

花柳 はるみ
ハナヤギ ハルミ

大正・昭和期の女優



生年
明治29(1896)年2月24日

没年
昭和37(1962)年10月11日

出身地
茨城県鹿島郡豊津村大船津

本名
糟谷 いし

別名
前名=花柳 春美

学歴〔年〕
麴町高女卒

経歴
大正4年島村抱月と松井須磨子の芸術座研究生となり、帝劇公演「その前夜」で初舞台。6年踏路社に参加、7年天活の帰山教正の純映画劇「生の輝き」に出演、映画女優第1号となった。次いで「深山の乙女」、8年「白菊物語」に主演。9年松竹キネマ蒲田などを経て舞台に専念。11年汐見洋の研究座で「かもめ」などに出演。13年築地小劇場創立でチェーホフの「桜の園」などに出演。15年戸をたたく座結成、フリーの形で昭和4年まで新劇協会に出演、中でも村山知義のプロレタリア演劇に傾倒した。昭和3年結婚を機に引退。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「花柳 はるみ」の解説

花柳はるみ はなやぎ-はるみ

1896-1962 大正-昭和時代前期の女優。
明治29年2月24日生まれ。大正4年芸術座の「その前夜」で初舞台。7年帰山教正(のりまさ)監督の「生の輝き」に主演,日本映画の女優第1号となる。11年研究座にはいり舞台に専心し,35歳で引退した。昭和37年10月11日死去。66歳。茨城県出身。麹町高女卒。本名は滝田意志。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の花柳 はるみの言及

【日本映画】より


[帰山教正と純映画劇運動]
 天活の映写技師兼外国部員であった帰山教正は,陰ぜりふの廃止と字幕の使用,女形に代わる女優の採用,演出法の改革に基づく〈純映画劇〉運動を提唱,新劇の村田実,青山杉作らと映画芸術協会を組織して,天活首脳部を説得し,18年,《生の輝き》《深山(みやま)の乙女》をつくった。2作品は意欲にあふれたもので,最初の映画女優・花柳はるみを生み出したが,商品性に乏しいという理由から翌年秋になってようやく公開され,革新性は認められつつも,外国映画の模倣の濃い試作にすぎないと受け止められて,興行的にも失敗した。映画芸術協会は,このあと,数本を製作して解散することになる。…

※「花柳 はるみ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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