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チェーホフ チェーホフ Chekhov, Anton Pavlovich

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

チェーホフ
チェーホフ
Chekhov, Anton Pavlovich

[生]1860.1.29. タガンロク
[没]1904.7.15. バーデンバイラー
ロシアの小説家,劇作家。幼少の頃から生活のきびしさを体験,モスクワ大学医学部に入学すると一家の生計を立てるため風刺雑誌に機知とユーモアに富む作品を書き,新進作家としての地位を確立。 23歳から結核に苦しみながら,ユーモア短編から中編,戯曲などに創作領域を拡大し,中期以降は社会問題を重要なテーマとして『曠野』 Step' (1888) ,『退屈な話』などの中編で新境地を開いた。

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チェーホフ
チェーホフ
Chekhov

1954年までロパスニャ Lopasnya。ロシア西部,モスクワ州の都市。モスクワの南約 70kmに位置する。印刷,家具,ゴム再生などの工業がある。現市名はチェーホフ没後 50年を記念して改名したもので,市の東 15kmのメリホボにチェーホフの文学記念館がある。

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デジタル大辞泉の解説

チェーホフ(Anton Pavlovich Chekhov)

[1860~1904]ロシアの小説家・劇作家。さりげない出来事のうちに、日常性のなかで俗物化していく人間への批判と人生の意味への問いかけをこめ、風刺とユーモアに富む文体で描いた。小説「退屈な話」「曠野(こうや)」「六号室」、戯曲「かもめ」「ワーニャ伯父さん」「三人姉妹」「桜の園」など。

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百科事典マイペディアの解説

チェーホフ

ロシアの作家。南ロシアのタガンログの商人の家に生まれる。モスクワ大学医学部を卒業し,医師としても活動した。学生時代からアントーシャ・チェホンテの名でユーモア短編を多作,やがて本格的な文学を志して,《曠野》《わびしい話》などの作品で1880年代末に短編小説の名手としての地位を確立。
→関連項目エフレーモフカザコフカーバーククルイニクスイ自由劇場神西清スタニスラフスキータガンログネミロビチ・ダンチェンコ昇曙夢俳優座ピトエフ

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世界大百科事典 第2版の解説

チェーホフ【Anton Pavlovich Chekhov】

1860‐1904
ロシアの小説家,劇作家。アゾフ海に面する港町タガンログで,雑貨商の三男として生まれた。祖父は農奴身分であったが,自由の権利を地主から買いとった。父が破産してモスクワに夜逃げした後,彼はひとり故郷に残り自活して中学を卒業した。モスクワ大学医学部に入学して医学を学ぶかたわら,ユーモラスな小品を雑誌,新聞に書きまくり家族を養った。医者となった後,かつてドストエフスキーを文壇に送り出した老作家D.V.グリゴロービチの忠告を受け入れ,より真剣に文学に身を捧げる決心をした。

チェーホフ【Mikhail Aleksandrovich Chekhov】

1891‐1955
ロシアの俳優。作家A.P.チェーホフの甥。1913年モスクワ芸術座入団。スタニスラフスキーの指導のもとに《十二夜》のマリボリオ(1917),《検察官》のフレスタコフ(1921),ハムレット(1924)などで希代の名演技を見せたが,社会主義体制への反感から28年に亡命。ヨーロッパアメリカで舞台,映画に出演したが,祖国でのような成功作はない。晩年には俳優の養成を仕事とした。【佐藤 恭子】

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大辞林 第三版の解説

チェーホフ【Anton Pavlovich Chekhov】

1860~1904) ロシアの小説家・劇作家。短編の名手、近代演劇の完成者として知られる。医学部在学中のユーモア短編の投稿から出発し、帝政末期のロシアの現実を絶望と希望の微妙なニュアンスをもって描いた。短編「犬を連れた奥さん」、中編「六号室」、戯曲「かもめ」「三人姉妹」「桜の園」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

チェーホフ
ちぇーほふ
Антон Павлович Чехов Anton Pavlovich Chehov
(1860―1904)

ロシアの小説家、劇作家。短編の名手、近代演劇の完成者として世界的に有名。
 1860年1月29日(旧暦1月17日)、南ロシアの港町タガンログに雑貨商の三男として生まれたが、16歳のときに家が破産、モスクワ大学医学部に入ると同時に、一家を養うため、ユーモア雑誌や新聞に短編やコントを書きまくった。81年3月、ナロードニキ「人民の意志派」によるアレクサンドル2世暗殺のあと、ロシアは灰色の80年代とよばれる反動時代に入り、一方81年にドストエフスキーが、83年にツルゲーネフが死亡、82年にはトルストイが『懺悔(ざんげ)』を発表して宗教家としての道を選び、ロシア文学の黄金時代は終わりかけ、チェーホフの作品発表舞台はもっぱら週刊誌であった。アントーシャ・チェホンテその他のペンネームで書いたそれらの作品は、7年間に400編以上ある。そのなかには、官吏たちの世界を風刺的に描いた『小役人の死』(1883)や『カメレオン』(1884)、社会の片隅に生きる人間への同情に満ちた『牡蠣(かき)』(1885)、『悲しみ』(1885)、『ワーニカ』(1886)、『ねむい』(1888)など珠玉の短編も少なくない。だが、長老作家グリゴロービチの忠告もあって、本格的な文学を志すようになり、ロシアの自然を新鮮な感覚で描いた長編『曠野(こうや)』(1888)、80年代の青年の心をとらえたペシミズムを扱った中編『ともしび』(1888)、自己の人生をもたぬ退職老教授の絶望をテーマとする『侘(わび)しい話』(1889)などを本名で発表して、確固たる地位を築いた。このころから『熊(くま)』(1888)、『タバコの害について』(1902)など9編のボードビルを書いているが、それらは初期短編の世界を舞台に描き出したものである。さらに彼は新境地を開拓すべく、大学卒業の年(1884)以来の結核をもかえりみず、1890年に単身シベリアを横断してサハリンに渡り、流刑囚の実情をつぶさに調査した。この旅行は膨大な報告記『サハリン島』(1895)を生んだ。[原 卓也]

報告記『サハリン島』以後

旅行前の彼は「あるがままの人生」を描くことを信条としていたが、旅行後は「あるがままの人生を描きながら、その背後に、かくあるべき人生を感じさせる」ことに心を砕くようになった。旅行後の作品には社会問題をテーマにしたものが多いし、彼自身も飢饉(ききん)の難民救済やコレラの防疫、学校や図書館の設立など、社会活動を熱心に行っている。現実改革のむなしさを知ってすべてに無関心になり、患者の狂人と議論しているうちに自分まで鉄格子の中に閉じ込められてしまう医者を描いた『六号室』(1892)は、専制政治の鉄格子に閉じ込められたロシアと知識人の運命を暗示する作品として、読者に大きな衝撃を与えた。現実をいかに改革するかという、19世紀ロシアの知識人が等しく考え続けた問題を、彼は『中二階のある家』(1895)、『わが人生』(1896)などの作品で展開してみせたが、彼がもっぱら批判を向けたのは、現実にはなにひとつせずに空論をもてあそぶ知識人に対してである。彼は医者として百姓たちの生活に接し、彼らの悲惨な暮らしを観察した。それは、豚にも劣る百姓の生活と、そこから生ずる悲劇を描いた『百姓たち』(1897)、『谷間』(1899)など、一連の農村小説を生んだ。また、現在の生活から逃れようと夢みながら、いつしか資本の奴隷になってゆく青年の苦悩を描いた『三年』(1894)に明らかなように、彼は世紀末のロシアを押し包む資本主義の必然性と恐ろしい本質とを正しく理解していた。[原 卓也]

鋭い日常性への批判

サハリン旅行とその後の無理がたたって結核は進行し、1898年ヤルタに転地したのちも、彼は晩年の数々の傑作を生み出している。後期の作品に共通するテーマは、人生に対する自覚も目的もなく機械的に惰性で過ぎてゆく生活と、その日常性のために俗物と化してゆく人間への批判である。『すぐり』(1898)、『イオーヌイチ』(1898)の主人公のように、かつては理想や愛に燃えた青年も、日常的現実のなかで人生の意義を考えることをやめ、食べて寝るだけの毎日を繰り返すようになったとき、「自分自身の人生を生きていない」俗物に堕落する。『箱にはいった男』(1898)の主人公も、因襲や偽善の箱に閉じ込められて身動きもできず、借り物の人生を生きるほかない。トルストイの絶賛した短編『可愛(かわい)い女』(1899)のオーレニカは、男運に恵まれず何度も夫をかえるが、そのたびに新しい夫の意見をそのまま自分の考えとし、その尺度にあわせて生活を築いてゆく。これもやはり借り物の人生である。『犬を連れた奥さん』(1899)は、夏の避暑地でかりそめの情事を結んだ中年男と人妻とが、それぞれ自分の生活に戻ったあと、心の内に真の深い愛をみいだして再会し、そこから2人の苦しい、しかし本当の人生が始まるという主題で、ここにも彼の人生観が表れている。真の人生への希求は、当然、よりよい新しい生活への期待に結び付く。それは最後の小説『いいなずけ』(1902)の主題でもある。そして、小説の主人公ナージャの、新しい明るい生活に対する期待の叫びは、彼の戯曲にも響いているのである。
 チェーホフは青年時代から『プラトーノフ』(1881)、『イワーノフ』(1887)、『ワーニャ伯父さん』の原型である『森の主』(1889)などの戯曲を書いているが、晩年の作品である『かもめ』『ワーニャ伯父さん』『三人姉妹』『桜の園』は、普通、彼の四大戯曲とよばれ、ロシア近代リアリズム演劇を完成させた傑作とみなされている。これらの戯曲は晩年の短編と同様、人間にとって真の生き方とはどういうものかというテーマで書かれたものだが、スタニスラフスキーのモスクワ芸術座というよき理解者を得て、演劇史に新時代を画した。彼の戯曲は普通「静劇」とよばれている。これはしかし舞台上で日常生活を描いたことを意味するわけではなく、作品中のドラマチックな事件をすべて舞台裏で処理したためである。これらの戯曲に共通しているのは、第1幕(到着)、第4幕(出発)という状況設定であり、この限られた時間のなかで作中人物がいかに事件を受け止め、生き抜くかを示しており、これは晩年の小説を貫くテーマと等しい。1901年、同座の女優オリガ・クニッペルと結婚したが、病は悪化する一方で、04年7月15日(旧暦7月2日)、療養先である南ドイツの温泉地バーデンワイラーで44歳の一生を閉じた。墓はモスクワのノボジェービチー修道院墓地にある。
 チェーホフはいわば20世紀リアリズムともいうべき文学手法の創始者であり、初期ゴーリキー、コロレンコ、イワン・ブーニンなどにきわめて大きな影響を与えた。さらにその影響は国外にまで及び、イギリスのキャサリン・マンスフィールド、バージニア・ウルフ、アメリカのアーネスト・ヘミングウェイなどの作品には、チェーホフに学んだ痕跡(こんせき)が強くとどめられている。[原 卓也]

日本への影響

彼の作品はわが国でも明治末期に、最初は英訳から、のちに瀬沼夏葉(せぬまかよう)が直接ロシア語から翻訳紹介して以来、多くの読者に愛され、近代文学の成立と発達に大きな影響を与えてきた。一時は暗い虚無的な作家として受け取られた時期もあったが、現在では彼の文学に存するユーモアや人間愛、未来への期待なども正しく理解されている。国木田独歩(どっぽ)、志賀直哉(なおや)、正宗白鳥(まさむねはくちょう)、広津和郎(かずお)、井伏鱒二(いぶせますじ)などの文学には、彼の影響がとくに濃厚に表れているといってよい。現代作家では三浦哲郎(てつお)、阿部昭(あきら)などがあげられるだろう。また、彼の戯曲はモスクワ芸術座の不朽のレパートリーになっているが、わが国でも彼の四大戯曲やボードビルは、築地(つきじ)小劇場以来、実に何千回も上演されている。[原 卓也]
『神西清・池田健太郎・原卓也訳『チェーホフ全集』全16巻(1976~77・中央公論社) ▽佐藤清郎著『チェーホフの生涯』(1966・筑摩書房) ▽原卓也編『チェーホフ研究』(1969・中央公論社) ▽池田健太郎編『チェーホフの思い出』(1969・中央公論社)』

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世界大百科事典内のチェーホフの言及

【近代劇】より

…だが〈近代劇〉にいたるもう一つの重要な過程はロシア演劇の流れである。エカチェリナ女帝治下のD.I.フォンビージン,19世紀初めのA.S.グリボエードフをへてゴーゴリの《検察官》(1836初演)で一つの頂点を形づくる社会風刺劇の伝統は,つねに為政者の圧迫の下にあったが,それはA.N.オストロフスキーの中産階級劇,ツルゲーネフの有閑知識人劇,トルストイの農民劇等の既成劇場にすぐには受け入れられないリアリズム劇をとおってチェーホフ劇に流れ込んでいる。 ところで,リアリズム劇が舞台上のリアリズムを要求するのはいうまでもないが,古典劇の朗唱風演技を排して自然な演技を重視しだすのは18世紀後半である。…

【桜の園】より

…ロシアの作家チェーホフの4幕戯曲。1903年作。…

【悲喜劇】より

…彼の喜劇《ミンナ・フォン・バルンヘルム》はその理想に近づいている。近代劇でもF.C.ヘッベルの《シシリアの悲劇》,H.イプセンの《野鴨》,G.ハウプトマンの《ねずみ》,F.ウェーデキントの《カイト侯爵》のような悲喜劇的な作品が出ているし,またA.チェーホフ,B.ショー,L.ピランデロ,J.B.プリーストリー,T.ワイルダーにも悲喜劇的といえる作品がある。とくにチェーホフが,《桜の園》や《かもめ》のような伝統的な分類でいえば色濃く悲劇的要素を含んだ作品の副題に,わざわざ〈喜劇〉とことわっていることは有名である。…

【モノローグ劇】より

…これはモノドラマmonodramaと呼ばれるが,モノローグ劇という言葉は一般にもう少しまとまった一幕劇ないし一回の演目として十分な長さの劇を指すようである。例えばチェーホフの《タバコの害について》やコクトーの《声》はそういう一幕物だが,前者は登場人物が観客に向かって語りかけるというかたちを,後者は人物の電話でのやりとりを観客が聞くというかたちをとっている。後者のやり方の一種として,俳優やせりふによってそこにいるはずの見えない人物の存在を暗示したりすることもある。…

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