ロシアの小説家、劇作家。短編の名手、近代演劇の完成者として世界的に有名。
1860年1月29日(旧暦1月17日)、南ロシアの港町タガンログに雑貨商の三男として生まれたが、16歳のときに家が破産、モスクワ大学医学部に入ると同時に、一家を養うため、ユーモア雑誌や新聞に短編やコントを書きまくった。81年3月、ナロードニキ「人民の意志派」によるアレクサンドル2世暗殺のあと、ロシアは灰色の80年代とよばれる反動時代に入り、一方81年にドストエフスキーが、83年にツルゲーネフが死亡、82年にはトルストイが『懺悔(ざんげ)』を発表して宗教家としての道を選び、ロシア文学の黄金時代は終わりかけ、チェーホフの作品発表舞台はもっぱら週刊誌であった。アントーシャ・チェホンテその他のペンネームで書いたそれらの作品は、7年間に400編以上ある。そのなかには、官吏たちの世界を風刺的に描いた『小役人の死』(1883)や『カメレオン』(1884)、社会の片隅に生きる人間への同情に満ちた『牡蠣(かき)』(1885)、『悲しみ』(1885)、『ワーニカ』(1886)、『ねむい』(1888)など珠玉の短編も少なくない。だが、長老作家グリゴロービチの忠告もあって、本格的な文学を志すようになり、ロシアの自然を新鮮な感覚で描いた長編『曠野(こうや)』(1888)、80年代の青年の心をとらえたペシミズムを扱った中編『ともしび』(1888)、自己の人生をもたぬ退職老教授の絶望をテーマとする『侘(わび)しい話』(1889)などを本名で発表して、確固たる地位を築いた。このころから『熊(くま)』(1888)、『タバコの害について』(1902)など9編のボードビルを書いているが、それらは初期短編の世界を舞台に描き出したものである。さらに彼は新境地を開拓すべく、大学卒業の年(1884)以来の結核をもかえりみず、1890年に単身シベリアを横断してサハリンに渡り、流刑囚の実情をつぶさに調査した。この旅行は膨大な報告記『サハリン島』(1895)を生んだ。
[原 卓也]
旅行前の彼は「あるがままの人生」を描くことを信条としていたが、旅行後は「あるがままの人生を描きながら、その背後に、かくあるべき人生を感じさせる」ことに心を砕くようになった。旅行後の作品には社会問題をテーマにしたものが多いし、彼自身も飢饉(ききん)の難民救済やコレラの防疫、学校や図書館の設立など、社会活動を熱心に行っている。現実改革のむなしさを知ってすべてに無関心になり、患者の狂人と議論しているうちに自分まで鉄格子の中に閉じ込められてしまう医者を描いた『六号室』(1892)は、専制政治の鉄格子に閉じ込められたロシアと知識人の運命を暗示する作品として、読者に大きな衝撃を与えた。現実をいかに改革するかという、19世紀ロシアの知識人が等しく考え続けた問題を、彼は『中二階のある家』(1895)、『わが人生』(1896)などの作品で展開してみせたが、彼がもっぱら批判を向けたのは、現実にはなにひとつせずに空論をもてあそぶ知識人に対してである。彼は医者として百姓たちの生活に接し、彼らの悲惨な暮らしを観察した。それは、豚にも劣る百姓の生活と、そこから生ずる悲劇を描いた『百姓たち』(1897)、『谷間』(1899)など、一連の農村小説を生んだ。また、現在の生活から逃れようと夢みながら、いつしか資本の奴隷になってゆく青年の苦悩を描いた『三年』(1894)に明らかなように、彼は世紀末のロシアを押し包む資本主義の必然性と恐ろしい本質とを正しく理解していた。
[原 卓也]
サハリン旅行とその後の無理がたたって結核は進行し、1898年ヤルタに転地したのちも、彼は晩年の数々の傑作を生み出している。後期の作品に共通するテーマは、人生に対する自覚も目的もなく機械的に惰性で過ぎてゆく生活と、その日常性のために俗物と化してゆく人間への批判である。『すぐり』(1898)、『イオーヌイチ』(1898)の主人公のように、かつては理想や愛に燃えた青年も、日常的現実のなかで人生の意義を考えることをやめ、食べて寝るだけの毎日を繰り返すようになったとき、「自分自身の人生を生きていない」俗物に堕落する。『箱にはいった男』(1898)の主人公も、因襲や偽善の箱に閉じ込められて身動きもできず、借り物の人生を生きるほかない。トルストイの絶賛した短編『可愛(かわい)い女』(1899)のオーレニカは、男運に恵まれず何度も夫をかえるが、そのたびに新しい夫の意見をそのまま自分の考えとし、その尺度にあわせて生活を築いてゆく。これもやはり借り物の人生である。『犬を連れた奥さん』(1899)は、夏の避暑地でかりそめの情事を結んだ中年男と人妻とが、それぞれ自分の生活に戻ったあと、心の内に真の深い愛をみいだして再会し、そこから2人の苦しい、しかし本当の人生が始まるという主題で、ここにも彼の人生観が表れている。真の人生への希求は、当然、よりよい新しい生活への期待に結び付く。それは最後の小説『いいなずけ』(1902)の主題でもある。そして、小説の主人公ナージャの、新しい明るい生活に対する期待の叫びは、彼の戯曲にも響いているのである。
チェーホフは青年時代から『プラトーノフ』(1881)、『イワーノフ』(1887)、『ワーニャ伯父さん』の原型である『森の主』(1889)などの戯曲を書いているが、晩年の作品である『かもめ』『ワーニャ伯父さん』『三人姉妹』『桜の園』は、普通、彼の四大戯曲とよばれ、ロシア近代リアリズム演劇を完成させた傑作とみなされている。これらの戯曲は晩年の短編と同様、人間にとって真の生き方とはどういうものかというテーマで書かれたものだが、スタニスラフスキーのモスクワ芸術座というよき理解者を得て、演劇史に新時代を画した。彼の戯曲は普通「静劇」とよばれている。これはしかし舞台上で日常生活を描いたことを意味するわけではなく、作品中のドラマチックな事件をすべて舞台裏で処理したためである。これらの戯曲に共通しているのは、第1幕(到着)、第4幕(出発)という状況設定であり、この限られた時間のなかで作中人物がいかに事件を受け止め、生き抜くかを示しており、これは晩年の小説を貫くテーマと等しい。1901年、同座の女優オリガ・クニッペルと結婚したが、病は悪化する一方で、04年7月15日(旧暦7月2日)、療養先である南ドイツの温泉地バーデンワイラーで44歳の一生を閉じた。墓はモスクワのノボジェービチー修道院墓地にある。
チェーホフはいわば20世紀リアリズムともいうべき文学手法の創始者であり、初期ゴーリキー、コロレンコ、イワン・ブーニンなどにきわめて大きな影響を与えた。さらにその影響は国外にまで及び、イギリスのキャサリン・マンスフィールド、バージニア・ウルフ、アメリカのアーネスト・ヘミングウェイなどの作品には、チェーホフに学んだ痕跡(こんせき)が強くとどめられている。
[原 卓也]
彼の作品はわが国でも明治末期に、最初は英訳から、のちに瀬沼夏葉(せぬまかよう)が直接ロシア語から翻訳紹介して以来、多くの読者に愛され、近代文学の成立と発達に大きな影響を与えてきた。一時は暗い虚無的な作家として受け取られた時期もあったが、現在では彼の文学に存するユーモアや人間愛、未来への期待なども正しく理解されている。国木田独歩(どっぽ)、志賀直哉(なおや)、正宗白鳥(まさむねはくちょう)、広津和郎(かずお)、井伏鱒二(いぶせますじ)などの文学には、彼の影響がとくに濃厚に表れているといってよい。現代作家では三浦哲郎(てつお)、阿部昭(あきら)などがあげられるだろう。また、彼の戯曲はモスクワ芸術座の不朽のレパートリーになっているが、わが国でも彼の四大戯曲やボードビルは、築地(つきじ)小劇場以来、実に何千回も上演されている。
[原 卓也]
『神西清・池田健太郎・原卓也訳『チェーホフ全集』全16巻(1976~77・中央公論社)』▽『佐藤清郎著『チェーホフの生涯』(1966・筑摩書房)』▽『原卓也編『チェーホフ研究』(1969・中央公論社)』▽『池田健太郎編『チェーホフの思い出』(1969・中央公論社)』
ロシアの小説家,劇作家。アゾフ海に面する港町タガンログで,雑貨商の三男として生まれた。祖父は農奴身分であったが,自由の権利を地主から買いとった。父が破産してモスクワに夜逃げした後,彼はひとり故郷に残り自活して中学を卒業した。モスクワ大学医学部に入学して医学を学ぶかたわら,ユーモラスな小品を雑誌,新聞に書きまくり家族を養った。医者となった後,かつてドストエフスキーを文壇に送り出した老作家D.V.グリゴロービチの忠告を受け入れ,より真剣に文学に身を捧げる決心をした。グリゴロービチを通して有力な保守派の新聞《新時代》の社主スボーリンと知り合い,彼の新聞に寄稿するようになってから経済的余裕も生まれ,よく練り上げられたチェーホフ独自の作風が育っていった。1887年の戯曲《イワーノフ》の上演は,劇作家としてのチェーホフの地位を不動のものとした。90年結核の身をおしてサハリン(樺太)に旅行,《サハリン島》(1893-94)と題するルポルタージュを書いた。92年モスクワ州メーリホボに別荘を求めて住んだ。この地で飢饉の救済やコレラ防疫,学校の建設などの社会事業に参加しつつ,中編《六号室》(1892),《わが人生》(1896),戯曲《かもめ》(1896),《ワーニャ伯父さん》(1897)などの傑作を書いたが,99年病気療養のためクリミアのヤルタに移った。晩年はもっぱら戯曲の革新のために捧げられたが,モスクワ芸術座とのつながりの中で,一座の女優オリガ・クニッペルと1901年5月に結婚した。04年病状が悪化し,南ドイツのバーデンワイラーに転地,その地で死んだ。
チェーホフは世紀末の〈灰色〉の時代の〈たそがれの歌い手〉〈絶望の詩人〉といわれてきた。平凡な人々の日常の行為を通して,人間のおかしさ,愚かさ,無意味さを描いたが,チェーホフその人の本質は南国生れの健康人の快活さとユーモアである。科学的で冷静な観察者であると同時に,未来を信ずるヒューマニストであったが,これは医者としての立場をよく反映している特質である。1886年から90年にかけてのトルストイ主義に共鳴した時代を除けば,同時代の支配的な潮流には荷担せず,そのため〈主義や原則をもたない〉作家という非難を浴びたが,このことはチェーホフが農民出の商人の家の出身で,ロシア文壇の主流であったインテリゲンチャの伝統と無縁であったこととつながりがある。チェーホフが世界的な名声を得たのは,まず短編の名手として,次いで雰囲気劇,静劇,〈間(ま)〉を巧みに用いた抒情的な劇の作者としてであった。《かもめ》,《ワーニャ伯父さん》,《三人姉妹》(1900-01),《桜の園》(1903-04)の四大劇が世界の近代劇に及ぼした影響ははかりしれない。チェーホフの作品は,明治の末に瀬沼夏葉によって紹介されて以来,ロング・ガーネットなどの英訳を通して日本に根づき,正宗白鳥,広津和郎,井伏鱒二などに大きな影響を与えた。演劇も築地小劇場以来,日本新劇のレパートリーの根幹をなしている。
執筆者:川端 香男里
ロシアの俳優。作家A.P.チェーホフの甥。1913年モスクワ芸術座入団。スタニスラフスキーの指導のもとに《十二夜》のマリボリオ(1917),《検察官》のフレスタコフ(1921),ハムレット(1924)などで希代の名演技を見せたが,社会主義体制への反感から28年に亡命。ヨーロッパ,アメリカで舞台,映画に出演したが,祖国でのような成功作はない。晩年には俳優の養成を仕事とした。
執筆者:佐藤 恭子
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1860~1904
ロシアの作家,劇作家。医師として働きながら,最初はユーモア小説家として出発したが,しだいにロシア社会の現実を鋭く暖かく描くようになり,小説『六号室』,ルポ『サハリン島』,戯曲『かもめ』『三人姉妹』『桜の園』などを生んだ。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…だが〈近代劇〉にいたるもう一つの重要な過程はロシア演劇の流れである。エカチェリナ女帝治下のD.I.フォンビージン,19世紀初めのA.S.グリボエードフをへてゴーゴリの《検察官》(1836初演)で一つの頂点を形づくる社会風刺劇の伝統は,つねに為政者の圧迫の下にあったが,それはA.N.オストロフスキーの中産階級劇,ツルゲーネフの有閑知識人劇,トルストイの農民劇等の既成劇場にすぐには受け入れられないリアリズム劇をとおってチェーホフ劇に流れ込んでいる。 ところで,リアリズム劇が舞台上のリアリズムを要求するのはいうまでもないが,古典劇の朗唱風演技を排して自然な演技を重視しだすのは18世紀後半である。…
…ロシアの作家チェーホフの4幕戯曲。1903年作。…
…彼の喜劇《ミンナ・フォン・バルンヘルム》はその理想に近づいている。近代劇でもF.C.ヘッベルの《シシリアの悲劇》,H.イプセンの《野鴨》,G.ハウプトマンの《ねずみ》,F.ウェーデキントの《カイト侯爵》のような悲喜劇的な作品が出ているし,またA.チェーホフ,B.ショー,L.ピランデロ,J.B.プリーストリー,T.ワイルダーにも悲喜劇的といえる作品がある。とくにチェーホフが,《桜の園》や《かもめ》のような伝統的な分類でいえば色濃く悲劇的要素を含んだ作品の副題に,わざわざ〈喜劇〉とことわっていることは有名である。…
…これはモノドラマmonodramaと呼ばれるが,モノローグ劇という言葉は一般にもう少しまとまった一幕劇ないし一回の演目として十分な長さの劇を指すようである。例えばチェーホフの《タバコの害について》やコクトーの《声》はそういう一幕物だが,前者は登場人物が観客に向かって語りかけるというかたちを,後者は人物の電話でのやりとりを観客が聞くというかたちをとっている。後者のやり方の一種として,俳優やせりふによってそこにいるはずの見えない人物の存在を暗示したりすることもある。…
※「チェーホフ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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