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アメリカの女流舞踊家。サンフランシスコに生まれる。クラシック・バレエのがっちりと組み立てられた体系に反旗をひるがえし,モダン・ダンスというジャンルが誕生するきっかけを作った。彼女は〈自然に帰れ〉をモットーとし,バレエのタイツや靴を用いず古代ギリシアのゆるやかなチュニック(貫衣)をまとい,感情のおもむくままに肉体を動かした。1897年からロンドン,パリ,ブダペストなど各地でソロ・ダンスによるリサイタルを催し,成功をおさめた。1905年にはロシアでもリサイタルを行ったが,それを見たM.フォーキンに大きな影響を与え,後に彼が《レ・シルフィード》などのモダン・バレエを振り付ける萌芽となったといわれている。05年,ベルリンに学校を作り妹のエリザベスとともに舞踊教育を行った。その後もヨーロッパ各地で公演を行い,アメリカでもたびたび踊っている。彼女の自由な生き方は当時の社会とは相いれなかったが,話題となった演出家クレーグ,ロシアの若い詩人エセーニンとの恋愛などを賛美する者も少なくなかった。コート・ダジュールをドライブ中にスカーフの端が自動車のスポークに巻きこまれ,首をしめられるという事故で波乱に富んだ生涯を終えた。
執筆者:山野 博大
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
アメリカの女流舞踊家。モダン・ダンスの先駆者といわれる。5月27日サンフランシスコに生まれる。アメリカで不遇であったが、1899年ヨーロッパに渡り、ロンドンで小さなリサイタルを開き認められるようになり、以降パリ、ブダペスト、ベルリン、ロシアなど各地を巡業。伝統的なチュチュやトーシューズは肉体を束縛するものとして嫌い、透明な衣装を着けはだしで踊ったことから、当時の社会ではスキャンダルとして受け取られもした。古典バレエの形式を排し、自由な舞踊を提唱、ショパンなどの曲にあわせてなかば即興的に踊り、ギリシアのバッカスの巫女(みこ)をまねて激しく、陶酔的に首を後ろに倒して踊ったりした。ディアギレフのロシア・バレエ団などもダンカンに影響されて生まれたといわれる。ベルリン、モスクワに舞踊学校を設立、子供たちの養成にあたった。私生活のうえでも自由奔放で、G・クレイグ、P・シンガー、S・エセーニンなどを恋人とした。1913年に事故で2人の子を失い、本人も27年9月14日ニースのコート・ダジュールで、首に巻いたショールが乗っていた車のタイヤに巻き付くという不慮の事故により49歳で世を去った。著書に自伝『わが生涯』(1927)がある。
[市川 雅]
『小倉重夫・阿部千律子訳『わが生涯 イサドラ・ダンカン』全二巻(1975、77・冨山房)』
アメリカの社会学者。テキサス州に生まれる。ルイジアナ州立大学、ミネソタ大学を経て、1949年にシカゴ大学から学位を取得した。シカゴ大学、ミシガン大学、アリゾナ大学などの教授を歴任。計量社会学や社会測定の領域で新しい指標や分析方法を導入し開発して、社会学の研究に応用した。とくに個人や家族の社会経済的地位を測定するための社会経済的地位尺度である職業威信尺度や所得・学歴尺度を統合した尺度を作成し、また、社会移動の分析に経路分析の方法を導入して計量的方法を確立するなど、これらの領域での数量的処理に大きな足跡を残した。主著に『アメリカの職業構造』(1969、共著)がある。
[本間康平]
イギリスの詩人、劇作家。ケンブリッジ大学卒業後、雑誌『都会人』の編集をしていたが、聖者伝と現代生活の退廃を仮面劇(マスク)と道化狂言(アンチマスク)の技法を使って対照的に描く宗教的詩劇『墓場への道』(1945)で劇作家として登場後、数編の詩劇を中心に翻案物、歌劇の台本などを書き、第二次世界大戦後の詩劇復興の一翼を担った。なお、彼は1939年以後は、南西イングランドのデボンシャーで農業に従事しながら創作活動を続けていた。ほかに長編叙事詩『人間』五部作(1970~74)などの詩集をはじめ、評論、自伝がある。
[中野里皓史]
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出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…従来の住民は北部に住みピクト人と呼ばれていたが,ウェールズからはブリトン人が南西部に来住し,6世紀後半にはアングル人が東部ローランドに定着。このうちスコット人が843年にピクト人を統合してアルバ王国を建設し,1034年にはその流れを汲むダンカン1世が上記4部族を統合してスコットランド王国を樹立した。 ダンカンよりマクベスを経て,マルコム3世が継承したのはケルト的社会で,教会もケルト教会の方式を多分に踏襲していた。…
…ほかにイスラエル,アルゼンチン,南アフリカ,キプロスが主産国。 最初の経済品種である有核(種子あり)白肉のダンカンは1830年ころ生じた。現在の主要品種マーシュ(無核,白肉)は1860年ころ突然変異系統として発見された。…
…古典的なバレエ技法(ダンス・クラシック)に反発し,まったく新しい考え方に基づいて生まれたダンスの一様式。I.ダンカンを祖とし,1920年代のドイツで確立され,その後アメリカで発達をみた。〈モダン・ダンス〉という言葉は33年にアメリカの評論家マーティンJohn Martinが,ダンカンのフリー・ダンスfree dance(ニュー・ダンスともいう),ドイツのM.ウィグマンらのノイエ・タンツNeue‐Tanz(のちにモデルネ・タンツといわれた)やアメリカのM.グラームらのダンスを総称し定義づけたことに由来がある。…
※「ダンカン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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