野球において、打者が各塁を経て本塁まで進むことができる安打。本塁打ともいう。プレー・グラウンド外のフェア地域に打球が飛び出すと、アウトになるおそれなしに得点が与えられる。ホームランの規則には「フェア飛球が、本塁からの距離が250フィート(76.199メートル)以上あるフェンスを越えるか、スタンドに入った場合、打者がすべての塁を正規に触れれば、本塁打が与えられる」と書かれている。俗にいう「ランニング・ホームラン(インサイド・ザ・パーク・ホームラン)」なるものは、野球規則で定められたホームランの名称ではなくて、球場内にとどまった安打の打球のうちで、打者が走力を発揮して一気に本塁まで達した打球をいう呼び名であるが、ホームランの本数記録には含まれる。ホームラン王ベーブ・ルースが1919年に一挙に29本の記録をつくり、さらに1921年に59本、1927年には60本という超人的記録を樹立し、野球界にホームラン時代を招来した結果、野球最大の魅力がホームランとなった。
日本では第二次世界大戦終戦直後に、長距離打法の天才大下弘(ひろし)(セネタース・東急―西鉄)が出現、1946年(昭和21)に20本の記録をつくり、2リーグ分裂以後もパシフィック・リーグの看板打者として長打を放ち、日本球界におけるベーブ・ルースのような役割を果たした。以来日本球界の打力も向上し、王貞治(さだはる)(巨人)はベーブ・ルースの714本の記録を破って868本の通算記録を樹立した。これは長くアメリカ大リーグ記録であったハンク・アーロンの755本をはるかに上回る数字となっている。
その後、日本では各球場の規模が大きくなったこともあって、ホームランの本数は減少したが、1990年代には清原和博(かずひろ)(西武―巨人―オリックス)、松井秀喜(ひでき)(巨人―ヤンキース―エンゼルス―アスレチックス―レイズ)、江藤智(あきら)(1970― 。広島―巨人―埼玉西武)らがホームランバッターとして活躍した。一方、大リーグ(メジャー・リーグ)では1998年にマーク・マグワイアとサミー・ソーサが1シーズンの大リーグ記録を破り、マグワイアは1シーズン70本という記録を残した。2001年にはバリー・ボンズが1シーズン73本のホームランを打ち、大リーグ記録を更新した。
[神田順治・森岡 浩 2020年6月23日]
2005年(平成17)以降、日本のプロ野球における日本人選手では、以下の選手がホームラン王のタイトルを獲得している。パシフィック・リーグでは中村剛也(たけや)(1983― 。埼玉西武)の6回をはじめ、松中信彦(1973― 。ダイエー・ソフトバンク)、小笠原道大(おがさわらみちひろ)(1973― 。日本ハム―巨人―中日)、山﨑武司(やまさきたけし)(1968― 。中日―オリックス―東北楽天)、T-岡田(岡田貴弘(おかだたかひろ)。1988― 。オリックス)、山川穂高(ほたか)(1991― 。埼玉西武。3回)、浅村栄斗(ひでと)(1990― 。埼玉西武―東北楽天)、杉本裕太郎(ゆうたろう)(1991― 。オリックス)、セントラル・リーグでは新井貴浩(たかひろ)(1977― 。広島―阪神―広島)、村田修一(1980― 。横浜―巨人。2回)、山田哲人(てつと)(1992― 。ヤクルト)、筒香嘉治(つつごうよしとも)(1991― 。横浜DeNA―レイズ―ドジャース―パイレーツ)、岡本和真(かずま)(1996― 。巨人。2回)、村上宗隆(むねたか)(2000― 。ヤクルト。2回)である。
2022年の時点で、アメリカ大リーグの通算ホームラン記録はバリー・ボンズの762本。現役大リーガーでは、アルバート・プホルスAlbert Pujols(1980― 。カージナルス―エンゼルス―ドジャーズ―カージナルス)の703本が最多で、そのあとにミゲル・カブレラMiguel Cabrera(1983― 。マーリンズ―タイガース)の507本が続いている。
[森岡 浩 2023年5月18日]
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