アーロン(読み)あーろん(英語表記)Henry (Hank) Louis Aaron

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アーロン」の意味・わかりやすい解説

アーロン
Aaron, Hank

[生]1934.2.5. アラバマ,モビール
[没]2021.1.22. ジョージアアトランタ
ハンクアーロン。アメリカ合衆国のプロ野球選手。本名 Henry Louis Aaron。大リーグ MLBにおいて 1954~76年の23シーズンで活躍し,ベーブ・ルースやタイ・カッブ,スタン・ミュージアルらが打ち立てた打撃記録を次々と塗り替えた。1952年ニグロ・アメリカンリーグのインディアナポリス・クラウンズで遊撃手を数ヵ月間務め,プロとしてのキャリアをスタートさせる。その後,ナショナルリーグのボストン・ブレーブズ(1953年にミルウォーキーに移転)のマイナーチームに所属し,1954年に大リーガー昇格,ミルウォーキー・ブレーブズではおもに外野手としてプレーした。1956年打率 0.328でリーグ首位打者に輝き,1957年にはチームのワールドシリーズ制覇の原動力となり,リーグ最優秀選手 MVPに選ばれた。ブレーブズが本拠地をアトランタに移す 1965年末までに 398本塁打を記録,1974年4月8日にはアトランタで 715本目の本塁打を打ち,1935年以降ルースが保持していた通算本塁打数の記録を破った。1974年シーズン後に当時アメリカンリーグに所属していたミルウォーキー・ブリュワーズ移籍,1976年シーズン後に現役引退。引退後は球団幹部としてアトランタ・ブレーブズに戻った。生涯打撃成績は本塁打 755,打率 0.305,打点 2297,得点 2174,安打 3771(うち長打 1477)。打点は MLB歴代1位,本塁打は 2007年にバリー・ボンズに破られるまで歴代 1位だった。安打はピート・ローズ,カッブに次いで歴代 3位。なお,打席数 1万2364はローズに次いで歴代 2位。1982年1月13日野球殿堂入り。2002年大統領自由勲章受章。2010年,生まれ故郷アラバマ州モビールにあるマイナー球団の本拠地ハンク・アーロン・スタジアムの敷地内にハンク・アーロン・チャイルドフッド・ホーム&ミュージアムが開館した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「アーロン」の意味・わかりやすい解説

アーロン
あーろん
Henry (Hank) Louis Aaron
(1934―2021)

アメリカのプロ野球選手(右投右打)。外野手で、ハンクと愛称され、ベーブ・ルースと並び称される黒人大リーガー。アラバマ州出身。ニグロリーグから大リーグ(メジャー・リーグ)のミルウォーキー・ブレーブス(現、アトランタ・ブレーブス)に入団、1954年に大リーグへデビューした。23年間で本塁打王は4回ながら、通算755本(ルースは714本)を打ち、「ルースの神話」を崩した。1975年からミルウォーキー・ブリュワーズでプレーし、1976年に現役引退、その後ブレーブスの副社長に就任した。1974年(昭和49)には来日して王貞治(さだはる)とホームラン競争をした。1982年に野球殿堂入りが決定、アトランタ・ブレーブスの本拠地ターナー・フィールドに銅像が建てられた。

[神田順治]

 なお、大リーグで最優秀打者に贈られる「ハンク・アーロン賞」は、1974年にアーロンがルースの通算本塁打記録を更新したのをたたえ、25周年記念として1999年に制定されたものである。

 23年間の通算成績は、出場試合3298、安打3771、打率3割5厘、本塁打755、打点2297。獲得したおもなタイトルは、首位打者2回、本塁打王4回、打点王4回。1982年に野球殿堂入り。

[編集部]

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