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清原和博 きよはら かずひろ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

清原和博 きよはら-かずひろ

1967- 昭和後期-平成時代のプロ野球選手。
昭和42年8月18日生まれ。PL学園の4番打者として,投手桑田真澄とともに甲子園に春夏5回出場し(優勝2回,準優勝2回),通算13本塁打。昭和61年西武に入団,一塁手,31本塁打で新人王。その後も4番打者として平成2年からの日本シリーズ3連覇などに貢献。9年巨人に移籍。16年2000本安打,17年500本塁打を達成。17年オリックスに移籍。20年引退。通算成績は2122安打,打率2割7分2厘,525本塁打。1955三振,196死球は歴代1位。大阪出身。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

清原和博
きよはらかずひろ
(1967― )

プロ野球選手(内野手:右投右打)。8月18日、大阪府生まれ。PL学園高時代には桑田真澄(ますみ)とともにKKコンビとよばれ、5季連続甲子園出場を果たした。全国制覇2回、準優勝2回。また、史上最多の13本塁打、1試合3本塁打を記録した。1985年(昭和60)のドラフトでは6球団が1位指名で競合し、抽選の結果、西武ライオンズ(現埼玉西武ライオンズ)が入団交渉権を獲得。清原が入団を熱望した読売ジャイアンツ(巨人)は桑田を指名、希望はかなわず、西武入団を決意した。1986年は1年目から4番を任されるなど主力として活躍、打率3割4厘、ホームラン31本を放って新人王に輝いた。その年から3年連続日本一を経験、パシフィック・リーグを代表する打者となったが、打撃タイトルには手が届かず「無冠の帝王」ともよばれた。1990年(平成2)からふたたび3年連続日本一で、5年連続リーグ制覇を経験したのち、96年のシーズンオフにフリーエージェント(FA)権を行使して巨人に移籍、2000年、2002年とセントラル・リーグでも日本一を味わった。2004年6月4日の対ヤクルトスワローズ戦で通算2000本安打を達成。翌2005年には4月29日の対広島東洋カープ戦で日本プロ野球史上8人目の通算500号本塁打を記録したが、その後は故障などもあって低迷し、シーズン終了後に戦力外通告を受けた。2006年はオリックス・バファローズに移籍。5月21日の交流戦対阪神タイガース戦で史上8人目の通算1500打点を記録。また、8月29日の対西武ライオンズ戦ではサヨナラホームランを打ち、21年連続2桁ホームランを記録すると同時に、通算サヨナラホームラン(12本)歴代1位になった。大舞台に強く、オールスター戦での最優秀選手(MVP)7回はプロ野球記録、また同戦での13本塁打は山本浩二(14本)に次ぐ歴代2位タイで、王貞治(さだはる)と肩を並べている。[出村義和]

2007年以降

2007年は、数年来悩まされ続けてきた左膝(ひざ)痛のために戦線を離脱。7月には選手生命を賭(か)けた手術に踏み切り、結局、この年は治療に専念することとなった。
 2007年までの通算成績は、出場試合2316、安打2118、打率2割7分2厘、本塁打525、打点1527。獲得したおもなタイトルは、新人王、ベストナイン3回、ゴールデン・グラブ賞5回。[編集部]
『登本寿典著『清原が行く』(1987・海鳥社) ▽山際淳司著『ルーキー――もう一つの清原和博物語』(1987・毎日新聞社) ▽永谷脩著『ミスターを超える男――清原和博の1826日』(1991・広済堂出版) ▽永谷脩著『夢一途 清原和博11年目の選択』(1997・未来出版) ▽平井勉著『清原和博 夢をつらぬく情熱のバッター』(2005・旺文社)』

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