ワグラムの戦い(読み)わぐらむのたたかい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ワグラムの戦い」の意味・わかりやすい解説

ワグラムの戦い
わぐらむのたたかい

1809年7月5~6日、ナポレオン1世フランス軍がオーストリア軍を破った戦争。1805年にナポレオンに敗れたオーストリアが重ねてフランスに宣戦したのに対し、ナポレオンは5月13日にウィーンに入城した。オーストリア軍は7万5000の軍を集結して、5月21日ウィーン東部のアスペルンの戦いでフランス軍を撃退した。ナポレオンは必死に軍の立て直しを図り、7月4日夜陰に乗じてルスバッハ川を渡河。退却するオーストリア軍を追って、6日終日の戦いで、ドイッチェ・ワグラムDeutsch-Wagramに拠(よ)る同軍を打ち破った。オーストリア軍は戦意を失い、7月12日ツナイムで休戦条約を結んだ。

[金澤 誠]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ワグラムの戦い」の意味・わかりやすい解説

ワグラムの戦い
ワグラムのたたかい
Battle of Wagram

1809年7月4~6日オーストリア,ウィーン北東のドナウ川右岸の村ワグラムでナポレオン1世とカルル大公の率いるオーストリア軍との間に行われた戦闘。ナポレオンは 18万人の兵士と 488門の大砲を備え,13万 6000人の兵士と 414門の大砲をもつオーストリア軍と対し,2日後にオーストリア軍は退却したが,ナポレオン軍も3万 4000人の兵士を失った。オーストリア軍が善戦したのに対し,フランス軍は,ナポレオンが 05年以来戦闘で消耗させてしまった老練な軍隊とは比較にならないほど劣っていた。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ワグラムの戦い」の解説

ワグラムの戦い(ワグラムのたたかい)
Wagram

ナポレオン1世がオーストリアを破った戦い。1809年春に彼はウィーンを占領し,同年7月5~6日に付近のワグラムでオーストリア軍を完敗させ,シェーンブルンの和議を結んだ。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ワグラムの戦い」の解説

ワグラムの戦い
ワグラムのたたかい
Wagram

1809年7月,ナポレオン1世がオーストリア軍を破った戦い
敗れたオーストリアはシェーンブルンで和を結んだ。

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