下河辺行平(読み)しもこうべゆきひら

改訂新版 世界大百科事典 「下河辺行平」の意味・わかりやすい解説

下河辺行平 (しもこうべゆきひら)

鎌倉初期の武士生没年不詳。幕府御家人。藤原秀郷末裔。八条院領下総国下河辺荘荘司。初めは平氏に従っていたが,源頼朝挙兵に参画し,石橋山の戦に敗れた頼朝が安房に逃れた際に,その陣中に加わった。以後志太義広の乱,平氏追討,奥州平定に活躍。頼朝の信任厚く,その宿所の護衛や息頼家の弓術の師を務めた。源氏の門葉に準ぜられたというが,その後のことは明らかでない。
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朝日日本歴史人物事典 「下河辺行平」の解説

下河辺行平

生年:生没年不詳
平安末・鎌倉前期の武将。下総国下河辺荘(古河市ほか)の荘司。藤原秀郷の子孫。行義の子。治承4(1180)年,以仁王と源頼政の挙兵を源頼朝に伝え,頼朝の挙兵に参加。その軍功で下河辺荘を安堵。以後有力御家人となった。頼朝の信任が厚く,養和1(1181)年,頼朝の寝所近辺祗候衆のひとりに選ばれ,鶴岡若宮上棟の際には頼朝の命を狙った男を捕らえ,その功により貢馬を免除された。平家追討・奥州合戦では,その武勇を示した。弓芸に秀で,流鏑馬・弓始・鹿狩りなどで何度も射手を勤め,のち頼家の弓の師範となった。建久6(1195)年,源家門葉に準ぜられたが,畠山重忠の乱(1205)以後の動向は不明である。

(澤野泉)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「下河辺行平」の解説

下河辺行平 しもこうべ-ゆきひら

?-? 平安後期-鎌倉時代の武将。
下河辺政義の兄。下総(しもうさ)葛飾郡下河辺荘(茨城県)の荘司(しょうじ)。源頼朝(よりとも)の挙兵以来の家臣で,治承(じしょう)・寿永の乱,奥州攻めにしたがう。武芸にすぐれ,源頼家(よりいえ)の弓の師範もつとめた。建久6年(1195)源氏の一門に準じられた。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の下河辺行平の言及

【下河辺氏】より

…行義は源頼政の郎等として活動し,頼政が以仁王を奉じて挙兵したときこれに従軍した。行義の子下河辺行平は頼政の挙兵を伊豆の源頼朝のもとに報じ,また頼政の敗死後は頼朝の挙兵を助けその陣に身を投じた。また行義が敗死した頼政の首を本領に持ち帰り,現古河市に頼政神社を創建したという伝説もある。…

※「下河辺行平」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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