丹生郡(読み)にうぐん

日本歴史地名大系 「丹生郡」の解説

丹生郡
にうぐん

面積:二一一・七三平方キロ
清水しみず町・朝日あさひ町・織田おた町・越廼こしの村・越前えちぜん町・宮崎みやざき

丹生郡は越前国の西部にあり、大部分山地で、北は福井市、東は福井市と鯖江市、南は武生市南条郡河野こうの村、西は日本海。昭和に入って北部が福井市、東部が鯖江市、南部が武生市に編入されるまでは、北は国見くにみ(六五六・一メートル)を境に坂井郡に、南は矢良巣やらす(四七二・七メートル)を境に南条郡に、東は北流する日野川で今立郡に対し、その南は南条郡であった。

古代の丹生郡は弘仁一四年(八二三)六月四日に分置された今立郡を含み(日本紀略)、また現丹生郡のほぼ中央にあるつるぎ神社と境内社織田神社(以上現織田町)が「延喜式」神名帳では敦賀郡に属し、南条郡域(現武生市)に比定される古代岡本おかもと郷が「和名抄」では丹生郡に載ることなどから、時期は不詳であるが、中世以降敦賀郡域の一部が丹生郡域へ、一方丹生郡域と敦賀郡域の各一部をもって南仲条みなみなかじよう(のちの南条郡)が分置されたと考えられる。

「和名抄」は刊本郡部に「爾不」、東急本に「尓布」と訓ずる。郡名は天平三年(七三一)一月二六日付越前国正税帳(正倉院文書)に「丹生郡」とみえるのが早い。丹生とは丹(朱)の出るところ、すなわち朱砂(水銀鉱)産地を意味するともいわれる。同正税帳に「郡司主帳无位丹生直伊可豆智」と郡名を負う人名がみえ、このほか郡名は天平一七年四月一八日・天平宝字六年(七六二)一二月一三日付平城宮出土木簡などにも記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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