伊藤快彦(読み)イトウ ヤスヒコ

20世紀日本人名事典 「伊藤快彦」の解説

伊藤 快彦
イトウ ヤスヒコ

明治・大正期の洋画家



生年
慶応3年7月8日(1867年)

没年
昭和17(1942)年6月16日

出生地
京都・若王子

別名
号=若翁

学歴〔年〕
京都府画学校西洋画科〔明治20年〕卒

経歴
はじめ田村宗立に洋画を学び、京都府画学校を出て明治21年上京、小山正太郎に師事、また原田直次郎の鐘美館画塾で学んだ。34年京都に帰り、家塾鐘美会を開き、また関西美術会を創立、作品を発表すると共に後進を指導、京都洋画壇の中心として活躍した。39年には関西美術院を創設、院長浅井忠を助けて奔走、後、浅井の後を継いで院長となった。作品は明治美術会や博覧会などにも発表、代表作に「勾玉のある静物」「少女像」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「伊藤快彦」の解説

伊藤快彦 いとう-やすひこ

1867-1942 明治-昭和時代前期の洋画家。
慶応3年7月8日生まれ。はじめ田村宗立(そうりゅう)に,のち東京で小山正太郎,原田直次郎にまなぶ。明治25年京都で家塾鍾美(しょうび)会をひらき,中林僲(せん)らをそだてる。34年関西美術会を結成,39年関西美術院教授,のち院長。昭和17年6月16日死去。76歳。京都出身。京都府画学校卒。号は若翁。代表作に「少女」「鷹匠(たかじょう)図」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「伊藤快彦」の解説

伊藤 快彦 (いとう やすひこ)

生年月日:1867年7月8日
明治時代;大正時代の洋画家。関西美術院教授
1942年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android