日本大百科全書(ニッポニカ) 「八省百官」の意味・わかりやすい解説
八省百官
はっしょうひゃっかん
律令(りつりょう)制のもとで、太政(だいじょう)官に包摂される八省(中務(なかつかさ)、式部(しきぶ)、治部(じぶ)、民部(みんぶ)、兵部(ひょうぶ)、刑部(ぎょうぶ)、大蔵(おおくら)、宮内(くない)の各省)およびその管轄下にある諸官司(令制では47)および官人の総称。律令制のもとでは、事実上は太政官が行政組織を総括していたため、八省百官は狭義の太政官の八省およびその被官のみならず、令外官(りょうげのかん)はもとより、中央官司を中心とした全官司を総称する用語として使用されたらしい。その早い用例としては『日本書紀』大化(たいか)5年(649)2月条に、国博士(くにはかせ)高向玄理(たかむこのくろまろ)と僧旻(みん)に詔(みことのり)して置いたとの記事がある。持統(じとう)朝に飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)を頒(わか)った翌年(690)に八省百寮が遷任されたとの記事もみえるが、おそらく名実ともに完成したのは701年(大宝1)の大宝(たいほう)律令の施行に伴うものであったと思われる。したがって、先の大化5年の記事は、中央官制が整ったことを示そうとした編者の思想の表現とみることもできる。その示す範囲はかならずしも厳密には確定できない。
[佐藤宗諄]