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僧旻 そうびんSeng-min

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

僧旻
そうびん
Seng-min

[生]?
[没]大通1(527).2.
中国,梁の僧。梁の三大法師の一人。7歳で虎丘の西山寺に入って出家し,のちに荘厳寺に移って三蔵をきわめ尽す。梁の武帝の帰依を得て,願によって『勝鬘経』を講義した。 61歳で寂。主著『論疏雑集』『四声指帰』など。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

僧旻 そうみん

旻(みん)

出典|講談社
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世界大百科事典内の僧旻の言及

【新漢人旻】より

…608年(推古16)隋使裴世清の帰国のさい派遣された小野妹子に同行し,高向玄理(たかむくのくろまろ)・南淵請安(みなぶちのしようあん)らとともに渡隋。《日本書紀》で新漢人日文(にちもん)とあるが,帰国した632年(舒明4)以降はすべて僧旻と記す。仏教,天文に通じ,中臣鎌子,蘇我入鹿など貴族の子弟を集めて周易を講じたことが《大織冠伝》にみえる。…

【唐】より

…この進言は,630年(舒明2)の第1次遣唐使として実現し,これ以後9世紀半ばまでに十数回の遣唐使が派遣されることになる。また第1次遣唐使帰国の際には,二十数年間中国に滞在していた僧旻(みん)(新漢人旻(いまきのあやひとみん))ら留学生もいっしょに帰り,さらに10年後には,留学生の南淵請安(みなぶちのしようあん),高向玄理(たかむくのくろまろ)らも唐から帰国した。彼らは,隋が滅び唐の国家が形成される経過を目のあたりに見てきたと推測されるが,彼らの知識と体験は,大化改新の際に重要な役割を果たした。…

【留学】より

…これ以後,古代の留学生はすべて男性と推定される。 7世紀初めに久しく中絶していた中国王朝との外交が再開されると,608年(推古16)遣隋使小野妹子に従って,高向玄理(たかむくのくろまろ),僧旻(新漢人旻(いまきのあやひとみん)),南淵請安(みなぶちのしようあん)ら8人の学生・学問僧が隋に渡った。彼らは,二十数年から三十数年の長期間にわたって中国に滞在し,隋が滅び,唐が興ってくる中国の社会を実見して帰国し,大化改新に始まる律令国家の建設に大きな役割を果たした。…

※「僧旻」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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