なか‐つかさ【中務】
[1] 〘名〙 (中近世は「なかづかさ」)
※続日本紀‐天平勝宝五年(753)正月癸卯「
天皇御
二中務南院
一、宴
二五位已上
一」
②
女房の呼び名。近親に
中務省の官人がいる場合の命名。
※
源氏(1001‐14頃)
帚木「中納言の君、中つかさなどやうの、おしなべたらぬ若人どもに」
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デジタル大辞泉
「中務」の意味・読み・例文・類語
なかつかさ【中務】[人名]
平安中期の女流歌人。三十六歌仙の一人。宇多天皇の皇子、中務卿敦慶親王の王女。母は歌人の伊勢。家集に「中務集」がある。生没年未詳。
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中務 (なかつかさ)
生没年:912?-988?(延喜12?-永延2?)
平安中期の女流歌人。三十六歌仙の一人。父は宇多天皇の皇子敦慶(あつよし)親王,母は古今集時代最高の女流歌人の伊勢。父が中務卿だったので,中務という女房名で呼ばれた。太政大臣藤原忠平や,その息で同じく太政大臣になった実頼の女房であった。母の伊勢に次いで当時最高の女流歌人と評価され,《後撰和歌集》以下の勅撰集に69首も入集したほか,家集に《中務集》があり,夫であった源信明(さねあきら)の家集《信明集》にも歌を残している。〈忘られてしばしまどろむ程もがないつかは君を夢ならで見む〉(《拾遺集》)。
執筆者:片桐 洋一
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中務
なかつかさ
生没年不詳。平安中期の女流歌人。宇多(うだ)天皇の第四皇子敦慶(あつよし)親王と歌人伊勢(いせ)との間に生まれた。名称はおそらく中務卿(きょう)であった父の官名によるのであろうが、彼女の確かな宮仕えの記録がなく、それがどういう機会に与えられたものであるかは不明。源信明(さねあきら)、平かねき、藤原実頼(さねより)、元良(もとよし)親王など、彼女と関係のあった男性は多いが、そのなかで信明との間がもっとも長く、深かったようで、2人の間には多数の贈答歌が残されている。三十六歌仙の1人で、有名歌合(うたあわせ)にしばしば参加し、『後撰(ごせん)和歌集』以下の勅撰集に六十数首入集。家集に『中務集』がある。
さやかにも見るべき月をわれはただ涙に曇る折りぞ多かる
[久保木哲夫]
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中務
生年:生没年不詳
10世紀,平安時代の歌人。宇多天皇の皇子敦慶親王と伊勢の子。三十六歌仙のひとり。実名は不詳。中務は,父の官職中務卿による女房名。藤原忠平や実頼に仕えたといわれており,村上・冷泉・円融朝期に活躍。専門歌人としての名声が高く,歌合や屏風のために詠作を求められることが多かった。『後撰集』以下の勅撰集に69首入集している。源信明 はじめ藤原実頼,藤原師氏,元良親王,常明親王などとの恋愛が知られており,信明の「恋しさは同じ心にあらずとも今夜の月を君見ざらめや」に対する返歌「さやかにも見るべき月を我はただ涙にくもる折ぞ多かる」など人の心を引く素直な恋愛歌も多く残している。
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
中務 なかつかさ
?-? 平安時代中期の女官,歌人。
中務卿敦慶(あつよし)親王の娘。母伊勢(いせ)とともに三十六歌仙のひとり。中務は女房名で,父の官職名から。藤原忠平・実頼(さねより)父子につかえ,永祚(えいそ)元年(989)以後に81歳以上で死去したといわれる。作品は「後撰和歌集」以下の勅撰集に69首おさめられている。屏風(びょうぶ)歌や源信明(さねあきら)との相聞歌が知られる。家集に「中務集」。
【格言など】下潜(したくぐ)る水に秋こそ通ふらし掬(むす)ぶ泉の手さへ涼しき(「新千載和歌集」)
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