20世紀日本人名事典 「斎藤英四郎」の解説
斎藤 英四郎
サイトウ エイシロウ
昭和・平成期の実業家 新日本製鉄名誉会長;経団連名誉会長;日本鉄鋼連盟名誉会長;鋼材倶楽部名誉理事長;経済同友会終身幹事。
- 生年
- 明治44(1911)年11月22日
- 没年
- 平成14(2002)年4月22日
- 出生地
- 新潟県新潟市
- 学歴〔年〕
- 東京帝国大学経済学部〔昭和10年〕卒
- 主な受賞名〔年〕
- 藍綬褒章〔昭和42年〕,リオブランコ勲章(ブラジル)〔昭和53年〕,ドレスデン工科大学名誉博士号(東独)〔昭和57年〕,勲一等瑞宝章〔昭和57年〕,ベルナルド・オイギン将軍章(チリ)〔昭和58年〕,財界賞(昭61年度),東ドイツ諸国民友好大星章〔昭和61年〕,コンパニオン・イン・ザ・オーダー・オブ・オーストラリア勲章〔昭和63年〕,南十字星ブラジル国家勲章グランデ・オフィシアル章〔平成1年〕,西ドイツ功労勲章大功労十字星章〔平成2年〕,勲一等旭日大綬章〔平成2年〕,交通文化賞(第38回)〔平成3年〕
- 経歴
- 昭和10年三菱鉱業に入社。16年請われて日本製鉄(新日本製鉄の前身)に入社し、主に原料・販売部門を歩く。戦後、25年日鉄が解体された後は八幡製鉄に身を置き、営業畑を担当。36年取締役、37年常務、43年専務、45年新日本製鉄専務、48年副社長、52年社長に就任。“7割操業で利益を”上げる企業体質づくりに尽力し、就任1年後には中国・上海の宝山製鉄所建設の議定書に調印、建設協力の陣頭指揮をとった。56年会長、62年取締役相談役・名誉会長に退いた。平成3年取締役を退任。10年社友。この間、昭和54年日本鉄鋼連盟会長。55年から経団連副会長を務め、61年第6代会長に就任。欧米諸国との間で生じた経済摩擦の解消に向け、民間レベルの対話や対外経済交流推進に尽力し、平成2年まで3期つとめた。他に鋼材倶楽部名誉理事長、エフエムジャパン監査役、日本衛星放送(WOWOW)取締役名誉会長、長野冬季五輪組織委員会会長など歴任した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報