「続日本紀‐神亀五年八月」に中衛府に精強な「東舎人」を充てた記事が見え、「同‐神護景雲三年十月・宣命」にも「東人は常に云く、額には矢は立つとも背は矢は立たじ」とあって、奈良時代には東人は勇猛な者と見られていた。しかし、挙例の「色葉字類抄」のように、平安朝以後には田舎、またはみやび心のない田舎者という属性が強く感じられる。
「と」の清濁は不明。「あづまづ」あるいは「あづまうど」の転だとすると濁音か。観智院本名義抄の例は「と」の脇に「ひと」とあり、人の意に解していたものと思われる。ただし、旅人(タビト)や史人(フビト)のトとは同列には扱いがたい。それゆえ処(ト)の意とみる説もある。
…朝鮮,李朝における党派の争い。李朝中期に勲旧派(中央貴族層の既成官僚)が士林派(在地両班(ヤンバン)層の新進官僚)に対して行った士禍とよばれる弾圧の後,士林派が1565年に政権を掌握するが,士林派は1575年に東人(改革派)と西人(保守派)に分裂した(ただし,東人が優勢)。さらに91年には西人への対応策をめぐって東人が南人(穏健派)と北人(強硬派)に分かれた(ただし,南人が政権を担当)。…
※「東人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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