源雅実(読み)みなもとのまさざね

改訂新版 世界大百科事典 「源雅実」の意味・わかりやすい解説

源雅実 (みなもとのまさざね)
生没年:1059-1127(康平2-大治2)

平安後期の公卿。右大臣顕房の長男。母は権中納言源隆俊の女。姉の賢子白河天皇中宮となり,ついでその所生堀河天皇が即位したので,19歳で早くも参議に昇り,内大臣,右大臣を経て,1122年(保安3)太政大臣に進んだ。源氏の太政大臣の最初で,時人は〈現世の昇進すでに万人に超ゆ〉と評した。24年(天治1)病のため辞官出家し,蓮覚と号したが,27年2月15日没し,23日久我山荘に葬られた。久我太政大臣と称される。雅楽通じ,とくに舞をよくし,堀河天皇の勅により,胡飲酒舞曲多忠方に伝授した話は有名である。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「源雅実」の解説

源雅実 みなもとの-まさざね

1059-1127 平安時代後期の公卿(くぎょう)。
康平2年生まれ。源顕房(あきふさ)の長男。母は源隆俊の娘。久我(こが)家の祖。承暦(じょうりゃく)元年(1077)参議。従一位にすすみ,保安3年(1122)源氏初の太政大臣となる。久我太政大臣とよばれた。舞曲にすぐれ,勅命で多忠方(おおの-ただかた)に胡飲酒(こんじゅ)の秘曲を伝授した。大治(だいじ)2年2月15日死去。69歳。日記に「雅実公記」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の源雅実の言及

【類聚歌合】より

…20巻。かつて関白藤原頼通が主宰し,源経信が監修した10巻本の《歌合》にならって,それをこえようとする意欲をもって堀河天皇の主宰,権大納言源雅実監修のもとに編集し始められたのが《和歌合抄》10巻であったが,1096年(永長1)ころから始まったこの事業は,1107年(嘉承2)天皇の死去によって中断した。しかし鳥羽天皇の初年,天仁・天永(1108‐13)のころには,その名を《古今歌合》と改めて編集事業が再開され,修正増補を加えて15,16巻の規模に増大していった。…

※「源雅実」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...

破竹の勢いの用語解説を読む