美空ひばり(読み)ミソラヒバリ

デジタル大辞泉 「美空ひばり」の意味・読み・例文・類語

みそら‐ひばり【美空ひばり】

[1937~1989]歌手。神奈川の生まれ。本名、加藤和枝。9歳でデビュー、「リンゴ追分」「柔」「悲しい酒」などの演歌を中心に数多くのヒット曲を歌い続けた。没後、国民栄誉賞受賞。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「美空ひばり」の意味・読み・例文・類語

みそら‐ひばり【美空ひばり】

  1. 歌手。神奈川県出身。本名加藤和枝。九歳でデビューし、天才少女歌手として人気を集める。「悲しき口笛」「柔」「悲しい酒」など数多くのヒット曲を残した。国民栄誉賞受賞。昭和一二~平成元年(一九三七‐八九

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「美空ひばり」の解説

美空 ひばり
ミソラ ヒバリ


職業
歌手

本名
加藤 和枝

生年月日
昭和12年 5月29日

出生地
神奈川県 横浜市磯子区滝頭町岩瀬

学歴
精華学園高〔昭和31年〕卒

経歴
生家は横浜の魚屋・魚増。天性の才能と父母の“芸能好き”によって、9歳から近くの劇場に出演。昭和23年横浜国際劇場、24年日劇と大劇場への出演を果たし、天才少女歌手と評される。同年映画「悲しき口笛」に主演、同名の主題歌が大ヒットしてコロムビアレコード専属となる。以来「東京キッド」「越後獅子の唄」「リンゴ追分」など大ヒットがつづき、29年松竹「伊豆の踊子」に主演、大好評を得る。同年NHK「紅白歌合戦」に初出場。その後も「波止場だよお父つぁん」「港町十三番地」「花笠道中」などヒット曲を出し、“歌に映画に”といった二本立形式で絶大な人気を築いた。35年「哀愁波止場」で第2回レコード大賞歌唱賞、40年「柔」で第7回レコード大賞を受賞。39年新宿コマ劇場初出演。41年代表曲「悲しい酒」、42年「真赤な太陽」を発表。一方で32年にはファンから塩酸をかけられる事件があり、40年代には興行界の古い体質との結びつきが批判されて全国の公共施設からショーの開催を締め出され、48年のNHK紅白の落選にもつながった。62年4月左右大腿骨頭壊死と慢性肝臓病のため、福岡市の済生会福岡総合病院に緊急入院、再起不能とまでいわれたが、奇跡的に回復し、63年4月東京ドームで“不死鳥コンサート”を成功させ、奇跡のカムバックと話題になった。同年名曲「川の流れのように」を発表。しかし翌平成元年2月に再び入院、6月死去した。40年間にわたり、歌謡曲、映画、舞台と芸能界の第一線で活動を続け、戦後日本の大衆文化を代表する一人だった。吹き込んだレコードは1033曲、映画出演は157作品を数えた。死後国民栄誉賞が贈られた。2年映画殿堂入り。6年京都嵐山に遺品など1000点を展示したメモリアルホール美空ひばり館が開館した(18年閉館)。著書に「虹の唄」「ひばり自伝」「川の流れのように」がある。

受賞
国民栄誉賞〔平成1年〕 日本レコード大賞歌唱賞(第2回)〔昭和35年〕「哀愁波止場」,ブルーリボン賞大衆賞(第12回 昭和36年度),日本レコード大賞(第7回)〔昭和40年〕「柔」,日本歌謡大賞放送音楽特別賞(第2回)〔昭和46年〕,日本レコード大賞制定15周年記念賞(第15回)〔昭和48年〕,日本レコード大賞特別賞(第18回)〔昭和51年〕,森田たまパイオニア賞(第6回)〔昭和52年〕,日本作曲大賞音楽文化賞(第6回)〔昭和61年〕,日本歌謡大賞特別栄誉賞(第20回)〔平成1年〕,日本作詩大賞特別賞(第22回)〔平成1年〕,日本レコード大賞金賞(第31回)〔平成1年〕「川の流れのように」,日本アカデミー賞会長特別賞(第13回)〔平成2年〕,ゴールデン・アロー賞特別功労賞(第27回)〔平成2年〕,日本レコード大賞特別功労賞(第43回)〔平成13年〕

没年月日
平成1年 6月24日 (1989年)

家族
長男=加藤 和也(ひばりプロ社長),弟=加藤 哲也(ひばりプロダクション社長),香山 武彦(俳優)

伝記
昭和歌謡映画館―ひばり、裕次郎とその時代美空ひばりという生き方美空ひばり 神がくれた三曲美空ひばりふたたび美空ひばり 平和をうたう―名曲「一本の鉛筆」が生れた日母・美空ひばりのアルバム完本 美空ひばり美空ひばりは鶴だった美空ひばりプライベートひばり裕次郎 昭和の謎川田晴久と美空ひばり―アメリカ公演草原の人―美空ひばりからの手紙美空ひばり思い出草紙美空ひばり燃えつきるまで美空ひばりと日本人美空ひばり「涙の河」を越えて不死鳥美空ひばり美空ひばり不死鳥伝説姉・美空ひばりの遺言―隠された愛と真実美空ひばりがいた時代美空ひばり―平凡特別編集20世紀のビッグスタアスター誕生―ひばり・錦之助・裕次郎・渥美清そして新・復興期の精神愛燦燦と…―美空ひばり物語美空ひばりとニッポン人美空ひばりもうひとりの美空ひばり「美空ひばり学」入門講座―カリスマ性の魅力とは何か歌こそわが命―美空ひばり 思い出のエピソード卑弥呼だったひばり―大美空ひばり伝ひばり模様―美空ひばり外伝 神話を彩った人々愛燦燦・ひばり神話の真実―叔母として、付き人として、側近中の側近が語り尽くす秘話美空ひばり―ヒューマン・ドキュメント姉・美空ひばりと私―光と影の50年美空ひばり―時代を歌う昭和のすたるじい流行歌(はやりうた)―佐藤千夜子から美空ひばりへお嬢…ゴメン。〈パート2〉 俺のどうにか人生 美空ひばり秘話美空ひばり―“歌う女王”のすべて美空ひばり 花のいのち美空ひばりの芸術お嬢…ゴメン。―誰も知らない美空ひばり美空ひばり最期の795日川の流れのように「戦後」美空ひばりとその時代美空ひばりと日本人蒼天 美空ひばり思い出の映画 美空ひばり美空ひばり美空ひばり―時代を歌うひばり自伝―わたしと影 岡田 喜一郎 著想田 正 著新井 恵美子 著新井 恵美子 著小笠原 和彦 著加藤 和也 編竹中 労 著麻生 千晶 著加藤 和也 監修吉田 司 著橋本 治,岡村 和恵 文堀ノ内 雅一 著沢島 忠 著森 啓 著山折 哲雄 著小西 良太郎 著近代映画 編大下 英治 著佐藤 勢津子,小菅 宏 編著黒田 耕司 著加藤 和也 監修吉田 司 著池田 憲一 著新藤 謙 著森 啓 監修小沢 さとし 著竹島 嗣学 著境 弘邦 著菊田 英世 著御木 平輔 著西村 克子 著小西 良太郎 著佐藤 勢津子 著大下 英治 著塩沢 実信 著嘉山 登一郎 著文芸春秋 編黒田 耕司 著平岡 正明 著嘉山 登一郎 著鳥巣 清典 著美空 ひばり 著本田 靖春 著山折 哲雄 著福島 泰樹 著朝日新聞社 編大下 英治 著美空 ひばり 著(発行元 中央公論新社青弓社北辰堂出版北辰堂出版時潮社主婦と生活社筑摩書房産経新聞ニュースサービス,扶桑社〔発売〕辰巳出版講談社中央公論新社情報センター出版局ワイズ出版草思社現代書館光文社近代映画社廣済堂出版ベストセラーズ小学館マガジンハウス講談社エイ・クリエイト大阪本社,星雲社〔発売〕晩声社TOKYO FM出版総和社日新報道産経新聞社,扶桑社〔発売〕自由現代社七賢出版徳間書店勁文社講談社新潮社第三文明社近代映画社文芸春秋小学館ネスコ,文芸春秋〔発売〕近代映画社マガシンハウス集英社講談社PHP研究所デンバー・プランニング,アイペック〔発売〕近代映画社朝日新聞社新潮社草思社 ’09’09’09’08’06’05’05’05’05’03’03’03’02’01’01’01’01’01’00’00’00’99’98’98’97’97’97’95’95’94’93’93’92’92’91’91’90’90’90’90’90’90’89’89’89’89’89’89’89発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「美空ひばり」の意味・わかりやすい解説

美空ひばり (みそらひばり)
生没年:1937-89(昭和12-平成1)

第2次世界大戦後の日本の代表的人気歌手。本名加藤和枝。横浜市磯子区滝頭(たきがしら)の魚屋の長女として生まれ,天性の才能と母親の〈芸能界好き〉によって,9歳から近くの劇場に出演,1948年には横浜国際劇場,49年には日劇と,本格的な劇場への出演をはたし,笠置シヅ子(1914-85)の《東京ブギウギ》など当時のヒット曲をおとな顔負けの巧みさでこなして,〈天才少女歌手〉として評判となった。49年9月,《河童ブギウギ》に続く2枚目のレコード《悲しき口笛》をコロムビアレコードから発売,続いて10月にはこれを主題歌とする松竹の同名主演映画も公開されて(これが初の主演映画。なお映画初出演は1949年3月の東横映画・斎藤寅次郎監督《のど自慢狂時代》),たちまち10万枚を売りつくし,やがて50万枚に迫る初の大ヒットとなった。51年には《越後獅子の唄》(斎藤寅次郎監督の松竹正月映画《とんぼ返り道中》の主題歌),52年には《リンゴ追分》(ラジオドラマ《リンゴ園の少女》の主題歌,同じ年に松竹で映画化もされる)の大ヒットを飛ばしてスターの座を確かなものにするが,これらの例にもみるように,〈歌に映画に〉といった2本立て形式での大衆への浸透が,以後,昭和30年代を通じての絶大な人気を築くことになる。ちなみに,昭和32年から36年まで5年間の映画出演本数は63本,年平均12本強にも及んでいる(なお,昭和33年7月に〈ひばりに関しては1社の独占を禁ずる〉という邦画6社の紳士協定が破られて東映が専属契約,それが昭和38年12月まで続いた)。

 1962年,日活のアクション・スター小林旭(1938- )と結婚,しかし〈スター同士の結婚〉は長続きせず,64年に離婚する。翌65年,作曲に古賀政男を得た《柔(やわら)》によって初のレコード大賞(第7回)を受賞,続く66年にも古賀政男の《悲しい酒》でヒットを飛ばし,〈演歌の女王〉〈歌謡曲の女王〉としての貫禄も示すようになる。

 だが,その後1960年代末から70年代,80年代にかけては,歌謡界(そしてそれを取りまく社会)の状況の変化もあって新しいヒットが生まれず,また,弟かとう哲也のたび重なる逮捕事件,暴力団との関係が取りざたされたことなどもあって,多くの社会的批判を浴びることとなった。しかし,《悲しい酒》に典型的にみられるような日本的な心情--いとわしくもあるがまた心地よくもある〈感傷的な自己陶酔性〉--によって,かつてのヒット曲は男女を問わぬ多くの日本人に今日も親しまれており,いろいろと批判はあるものの,〈歌〉を通しての美空ひばりは,依然,〈異能のヒロイン〉として大衆の中に生き続けている。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

20世紀日本人名事典 「美空ひばり」の解説

美空 ひばり
ミソラ ヒバリ

昭和期の歌手



生年
昭和12(1937)年5月29日

没年
平成1(1989)年6月24日

出生地
神奈川県横浜市磯子区滝頭町岩瀬

本名
加藤 和枝

学歴〔年〕
精華学園高〔昭和31年〕卒

主な受賞名〔年〕
日本レコード大賞歌唱賞(第2回)〔昭和35年〕「哀愁波止場」,ブルーリボン賞大衆賞(第12回・昭36年度),日本レコード大賞(第7回)〔昭和40年〕「柔」,日本歌謡大賞放送音楽特別賞(第2回)〔昭和46年〕,日本レコード大賞制定15周年記念賞(第15回)〔昭和48年〕,日本レコード大賞特別賞(第18回)〔昭和51年〕,森田たまパイオニア賞(第6回)〔昭和52年〕,日本作曲大賞音楽文化賞(第6回)〔昭和61年〕,国民栄誉賞〔平成1年〕,日本歌謡大賞特別栄誉賞(第20回)〔平成1年〕,日本作詩大賞特別賞(第22回)〔平成1年〕,日本レコード大賞金賞(第31回)〔平成1年〕「川の流れのように」,日本アカデミー賞会長特別賞(第13回)〔平成2年〕,ゴールデン・アロー賞特別功労賞(第27回)〔平成2年〕,日本レコード大賞特別功労賞(第43回)〔平成13年〕

経歴
生家は魚屋「魚増」。幼いころから歌唱に対する才能のひらめきをみせ、昭和23年横浜国際劇場で「リンゴの歌」「港シャンソン」を歌い天才少女歌手と評される。24年映画「悲しき口笛」に出演、同名の主題歌がヒット、コロムビアレコード専属となる。以来「越後獅子の唄」「リンゴ追分」など大ヒットがつづき、また映画、舞台にも数多く出演して人気を確固たるものにした。35年「哀愁波止場」で第2回レコード大賞歌唱賞、40年「柔」で第7回レコード大賞を受賞。42年代表曲「悲しい酒」発表。吹き込んだシングル盤レコード約300枚、歌った曲500曲以上あり、戦後芸能史を美空ひばり抜きでは語れないと言われる歌謡界の女王。62年4月左右大腿骨頭壊死と慢性肝臓病のため、福岡市の済生会福岡総合病院に緊急入院、再起不能とまでいわれたが、奇跡的に回復し、63年4月東京ドームで再起コンサートを開いた。しかし翌平成元年2月に再び入院、6月死去。死後国民栄誉賞が贈られた。2年映画殿堂入り。6年京都嵐山に遺品など1000点を展示したメモリアルホール美空ひばり館が開設。9年昭和を代表する三大スーパースターの一人として郵便記念切手となる。11年2月唯一の劇中歌、舞台「元禄港歌」の「流れ人」がシングルリリースされる。同年「川の流れのように」が高校音楽の教科書に採用された。14年65回目の誕生日となる5月29日に昭和46年録音の「鏡」がシングルリリースされる。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

百科事典マイペディア 「美空ひばり」の意味・わかりやすい解説

美空ひばり【みそらひばり】

第2次大戦後の代表的歌手。本名加藤和枝。横浜市の魚屋の長女として生まれ,幼時より歌唱の才能を発揮。9歳から劇場に出演,1948年に歌手デビュー,〈天才少女歌手〉として評判となった。1949年9月に《悲しき口笛》を発売,50万枚に迫る売上げを記録。1951年《越後獅子の唄》,1952年《リンゴ追分》など歌に映画に活躍。1962年小林旭と結婚,1964年離婚。1965年《柔》でレコード大賞を受賞,1966年《悲しい酒》がヒット,〈演歌の女王〉の座を不動のものにした。1989年国民栄誉賞(死後追贈)。
→関連項目歌謡曲斎藤寅次郎島倉千代子

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「美空ひばり」の意味・わかりやすい解説

美空ひばり
みそらひばり

[生]1937.5.29. 横浜
[没]1989.6.24. 東京
歌手,女優。本名加藤和枝。子供の頃から地方劇場をまわって歌い,1948年横浜国際劇場に進出。翌 49年8月映画『踊る竜宮城』に出演し,その主題歌『河童ブギウギ』でレコード・デビューを果す。9月に初主演した映画『悲しき口笛』は,第2次世界大戦後の混乱を生抜く少女を描いて同名の主題歌とともに大ヒットした。以後日本コロムビア・レコードと専属契約を結び,次々とヒット曲を出す一方,雪村いづみ,江利チエミとトリオを組んで活躍。その後,熱狂的なファンに塩酸をかけられるなど,不運の時期を経て,「歌謡界の女王」と称される存在となった。代表曲『リンゴ追分』『柔 (やわら,1965年日本レコード大賞受賞) 』『悲しい酒』などをはじめ,全作品は 1000曲以上に及ぶ。没後,女性初の国民栄誉賞が贈られた。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「美空ひばり」の意味・わかりやすい解説

美空ひばり
みそらひばり
(1937―1989)

歌手、女優。本名加藤和枝(かずえ)。幼時から歌が大好きで、1946年(昭和21)9月、生地の横浜で初めて舞台に立つ。1949年、映画『のど自慢狂時代』に出演して注目され、同年コロムビア入社。レコード吹き込みの第一作は『河童(かっぱ)ブギウギ』。天才少女歌手として出演した映画『悲しき口笛』『東京キッド』『リンゴ園の少女』『あの丘越えて』は主題歌ともども大ヒットした。映画・舞台に活躍、比類ない歌唱力で、戦後の歌謡界に大きな足跡を残した。その他の代表曲に『悲しい酒』『柔(やわら)』など。平成元年6月24日没。国民栄誉賞が追贈された。

[畑 暉男]

『『ひばり自伝――わたしと影』(1971・草思社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「美空ひばり」の解説

美空ひばり みそら-ひばり

1937-1989 昭和時代後期の歌手。
昭和12年5月29日生まれ。昭和21年9歳で初舞台をふむ。天才少女歌手として評判をよび,24年「河童ブギ」でレコードデビュー。同年の「悲しき口笛」,25年の「東京キッド」など主演映画とその主題歌がつぎつぎにヒット。以後レコード曲数は1000をこえ,劇場公演でも活躍,歌謡界の女王と称される。代表曲に「リンゴ追分」「哀愁波止場」「柔」「川の流れのように」など。平成元年6月24日死去。52歳。国民栄誉賞を追贈された。神奈川県出身。本名は加藤和枝。
【格言など】今日の我れに明日は勝つ(座右銘)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「美空ひばり」の解説

美空 ひばり (みそら ひばり)

生年月日:1937年5月29日
昭和時代;平成時代の歌手
1989年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の美空ひばりの言及

【歌謡曲】より

…一般に初期の歌手は,マイクなしでもよく通るかん高い声をもっている。戦後マイクロフォンの発達によって,よく通る声が歌手の必要条件でなくなり,美空ひばりの裏声による細やかな技巧のように,豊かな感情表現が求められるようになった。さらにはフランク永井の低音,森進一のかすれ声等の歌手が登場し,また音域も低くなり,一般の人々にも歌いやすいものになった。…

※「美空ひばり」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」