新撰 芸能人物事典 明治~平成 「江利チエミ」の解説
江利 チエミ
エリ チエミ
- 職業
- 歌手 女優
- 本名
- 久保 智恵美(クボ チエミ)
- 生年月日
- 昭和12年 1月11日
- 出生地
- 東京市 入谷区(東京都 台東区入谷町)
- 学歴
- 明星学園高〔昭和30年〕卒
- 経歴
- 父はバンドマンで、初代柳家三亀松の相三味線も務めた久保益雄、母は軽演劇の女優・谷崎歳子。4人兄妹(3男1女)の末娘。東京・浅草で育ち、昭和19年山梨県甲府へ疎開したが、親戚の葬儀のために東京へ戻ったその日、甲府空襲で疎開先の親戚の家が全焼し、命を拾った。24年より母が付けてくれた“江利チエミ”の芸名で、父と米軍キャンプを回ってショーに出演。26年キングレコード専属となり、27年ジャズ歌手として「テネシー・ワルツ 家へおいでよ」でデビュー、たちまち大ヒットとなった。28年3月「テネシー・ワルツ」のヒットを受けて米国から招待を受け渡米、公演を成功させ、同地で「ゴメンナサイ」「プリティ・アンド・ベイビー」を録音。5月来日する黒人5人組のジャズコーラス・グループ、デルタ・リズム・ボーイズと一緒に帰国。各地で共演する一方、トップテナーのカール・ジョーンズから指導を受け、本場のジャズ・フィーリングを学んだ。帰国の際、新人歌手の雪村いづみから花束を手渡されたが、公私ともの親友となった2人は、この時が初対面であった。相前後して歌謡界入りした雪村、美空ひばりと“三人娘”と呼ばれて空前のブームとなり、30年映画「ジャンケン娘」で3人の初共演が実現。29年雑誌「サンデー毎日」が百万部を突破した際に企画された「日本の十人」では、音楽部門で2位の美空ひばり、3位のバイオリニスト・諏訪根自子、4位の作曲家・山田耕筰を抑えて十人の1人に選ばれた。34年俳優の高倉健と結婚。歌手として実力を示す一方で、庶民的な雰囲気をもつタレント性が買われ、映画やテレビにも数多く出演。特に長谷川町子の漫画を題材とした「サザエさん」のサザエさん役は生涯の当たり役となり、映画、テレビ、舞台とサザエさんを演じた。また、36年母親代わりの女優・清川虹子の原案、菊田一夫の作・演出による「スター誕生」や「マイ・フェア・レディ」などミュージカルでも活躍。しかし、家計の全てを委ねていた異父姉に裏切られ、財産の全てを奪われた上に億単位の借金を背負うことになり、46年夫に迷惑をかけまいと高倉と離婚。47年には異父姉を告訴、異父姉には懲役3年の実刑判決が下された。以後、質素な一人暮らしを続けながら莫大な借金の返済に励んだ。55年デビュー三十周年記念リサイタルを成功させる。借金を完済し、これからが期待されていた矢先の57年、脳溢血による窒息死のために45歳の若さで急逝した。他のヒット曲に「思い出のワルツ」「ウスクダラ」「ウェディングベルが盗まれた」「キャリオカ」「霧のロンドン・ブリッジ」「さのさ」「奴さん」「酒場にて」「新妻に捧げる歌」などがあり、他の出演作には、映画「裏町のお転婆娘」「ちいさこべ」「巣立ちのとき・教育は死なず」、テレビ「咲子さんちょっと」「黄色いトマト」「ねぎぼうずの唄」「はじめまして」「赤帽かあちゃん」、舞台「お染久松」「白狐の恋」「春香伝」など。
- 受賞
- 京都市民映画祭助演女優賞〔昭和37年〕「ちいさこべ」,テアトロン賞(第8回)〔昭和37年〕「スター誕生」「チエミ大いに歌う」,芸術祭奨励賞〔昭和37年〕「スター誕生」,ゴールデン・アロー賞〔昭和38年〕「マイ・フェア・レディ」,芸術祭奨励賞〔昭和42年〕「お染久松」,芸術祭優秀賞〔昭和46年〕「白狐の恋」,芸術祭優秀賞〔昭和47年〕「’72チエミ秋に唄う」,日本有線大賞敢闘賞(第8回)〔昭和49年〕「酒場にて」
- 没年月日
- 昭和57年 2月13日 (1982年)
- 家族
- 父=久保 益雄(ミュージシャン)
- 伝記
- シャープス&フラッツ物語―原信夫の歩んだ戦後とジャズ江利チエミ物語―テネシー・ワルツが聴こえる進駐軍クラブから歌謡曲へ―戦後日本ポピュラー音楽の黎明期江利チエミ 波乱の生涯―テネシー・ワルツが聴こえる昭和のすたるじい流行歌(はやりうた)―佐藤千夜子から美空ひばりへ 瀬川 昌久 監修,長門 竜也 著藤原 佑好 著東谷 護 著藤原 佑好 著塩沢 実信 著(発行元 小学館長崎出版みすず書房五月書房第三文明社 ’09’06’05’00’91発行)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報