(1)越後の蒲原を本拠として諸国を歩いて角兵衛獅子の扮装で踊りや軽業を行う大道芸およびその芸人をいう。(2)地歌およびそれを地とする舞。1788年(天明8)ごろ峰崎勾当作曲。三下り手事物。(1)を主題とする。箏の手が付けられて,箏曲として扱われることが多いが,その手付は,地域・流派によって異なる。京都の平調子のものは八重崎検校の手付。大阪の雲井調子のものは〈雲井越後〉ともいい,市浦検校の手付で,替手風。三弦の替手もあって本調子。手事は3段あってちらしが付くが,舞地の場合は縮約され,流派によっては,〈四季に咲きそふ……〉の胡蝶のくだりに代えられることもある。舞は,井上流では古くは初世井上八千代の振付,現行は3世八千代の振付。山村流では初世山村友五郎の振付。着流しと衣装付きとあり,二人立ちのこともある。
執筆者:平野 健次(3)歌舞伎舞踊。長唄。本名題《遅桜手爾葉七字(おそざくらてにはのななもじ)》。作詞篠田金治。作曲9世杵屋(きねや)六左衛門。振付初世市山七十郎。1811年(文化8)3月江戸中村座初演。3世中村歌右衛門が踊った七変化の一つ。家族と別れ,越後から出稼ぎに来た角兵衛獅子の風俗を題材としたもの。そこはかとなき哀感と,テンポの速いリズムを踊りわけるのが難しく,最後の下駄をはいての布晒しが最大の見どころである。
執筆者:戸部 銀作
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越後出身の角兵衛獅子(かくべえじし)に取材した地歌、および歌舞伎(かぶき)舞踊。
(1)地歌。天明(てんめい)・寛政(かんせい)期(1781~1801)に大坂の峰崎勾当(みねさきこうとう)が作曲。のち、箏曲(そうきょく)に編曲され、生田(いくた)、山田の両流で行われている。
(2)歌舞伎舞踊。長唄(ながうた)。篠田(しのだ)金次作詞、9世杵屋(きねや)六左衛門作曲、2世市山七十郎(なそろう)振付け。1811年(文化8)3月江戸・中村座で3世中村歌右衛門(うたえもん)が初演した七変化舞踊『遅桜手爾葉七字(おそざくらてにはのななもじ)』の一つで、江戸市中を歩く角兵衛獅子の姿を描く。歌右衛門が好敵手3世坂東(ばんどう)三津五郎に張り合って創作を急いだため、地歌の『越後獅子』『晒(さらし)』や民謡などから歌詞、旋律を取り入れたのがかえって好評をよび、現代でも流行している。とくに、ひなびた俚謡(りよう)気分の浜唄(はまうた)の箇所が曲と踊りの眼目。
[松井俊諭]
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出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報
…越後獅子の江戸における呼び名。蒲原(かんばら)獅子ともいう。…
…文化・文政期(1804‐30)は江戸趣味的な拍子本位の舞踊曲の全盛期である。この期には俳優にも3世坂東三津五郎,3世中村歌右衛門など兼ねる役者に名人が現れ,変化物(へんげもの)舞踊が流行した結果,長唄も短編ではあるが変化物に《越後獅子》《汐汲(しおくみ)》《小原女(おはらめ)》などの傑作が生まれた。また,伴奏音楽の面でも変化の妙を示そうとして豊後節系浄瑠璃(常磐津,富本,清元)と長唄との掛合が流行したのもこのころで,《舌出三番叟(しただしさんばそう)》《晒女(さらしめ)》《角兵衛》などが掛合で上演された。…
※「越後獅子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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