「アフシャール朝」の検索結果

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アーガー・ムハンマド Āghā Muḥammad

山川 世界史小辞典 改訂新版
1742~97(在位1796~97)カージャール朝の創設者。カージャール部族の最有力部将の長男。幼少の頃,時のアフシャール朝君主により去勢される。ザンド…

アフシャール朝(アフシャールちょう) Afshār

山川 世界史小辞典 改訂新版
1736~96イランの王朝。サファヴィー朝の実質的瓦解(1722年)後の混乱期に頭角を現したトゥルクメン系アフシャール族出身のナーディル・シャーは,173…

ナーディル・シャー

百科事典マイペディア
イランのアフシャール朝(1736年―1796年)の創始者。トルコ系のアフシャール族の出身。イラン全土,アフガニスタンを支配下に収め,インド,中央アジ…

アフシャール朝 アフシャールちょう Afshārids; Afshārīyah

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
イランのトルコ系王朝 (1736~96) 。 18世紀初め,サファビー朝がアフガン族の侵入やオスマン帝国とロシアの攻勢の前に衰えたとき,外敵を国外に駆逐…

ナーディル・シャー

367日誕生日大事典
生年月日:1688年10月22日イランのアフシャール朝の創始者(在位1736〜47)1747年没

ナーディル=シャー Nādir Shāh

旺文社世界史事典 三訂版
1688〜1747イランのアフシャール朝の創建者(在位1736〜47)トルコ系アフシャール族の出身。サファヴィー朝の再興をはかってアフガン族を追放し,173…

カリーム・ハーン・ザンド Karīm Khān Zand

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
[生]?[没]1779イラン,ザンド朝の創始者 (在位 1757~79) 。ルル族傍系のザンド族の長であったが,アフシャール朝のナーディル・シャー暗殺後の混乱…

ザンド朝 ザンドちょう Zands; Zandīyah

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
イランの王朝 (1757~94) 。ゼンド朝ともいう。 18世紀なかば,ナーディル・シャーの暗殺によりアフシャール朝の支配は崩壊し,各地にその部将たちが…

ナーディルシャー‐びょう〔‐ベウ〕【ナーディルシャー廟】

デジタル大辞泉
《Ārāmgāh-e Nāder Shār》イラン北東部の都市マシュハドの中心部にある霊廟。アフシャール朝のナーディル=シャーを祭る。武器や馬具のほか、ナーデ…

ナーディル・シャー Nādir Shāh 生没年:1688-1747

改訂新版 世界大百科事典
イランのアフシャール朝の始祖。在位1736-47年。トルコ系アフシャール族の出身。アフガン族,オスマン・トルコ軍をイランから駆逐し,勇名をはせる。…

アフシャール朝 アフシャールちょう Afshār

旺文社世界史事典 三訂版
1736〜96トルコ系アフシャール族のナーディル=シャーがイランに建てたスンナ派王朝彼の代にはインドに遠征し,ムガル帝国の首都デリーを占領するほ…

ナーディル・シャー Nādir Shāh

山川 世界史小辞典 改訂新版
1688~1747(在位1736~47)イランのアフシャール朝の創設者。イラン全土,アフガニスタンを支配下に収め,インド,中央アジアに侵入した軍事的天才で…

サファビー‐ちょう ‥テウ【サファビー朝】

精選版 日本国語大辞典
(サファビーはSafavī) イランの神秘主義教団の教主の家系であるサファビー家のイスマイル一世が、一五〇一年イラン全土を統一、イスラム教シーア派(…

アスタラーバーディー Astarābādī, Mahdī Khān

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
[生]?[没]1766/1767イラン,アフシャール朝の歴史家。ナーディル・シャーに仕え,その個人的秘書,次いで史料編纂官として勝利宣言や講和条約の多く…

アーガー・ムハンマド Āghā Muḥammad Khān

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
[生]1742[没]1797イラン,カージャール朝の創始者(在位 1796~97)。1758年トルコ系カージャール族のカバーンルー氏族の長であった父のあとを継ぎ,…

カリーム・ハーン かりーむはーん Karīm Khān (?―1779)

日本大百科全書(ニッポニカ)
イラン、ザンド(ゼンド)朝の創始者。アフシャール朝の創始者ナーディル・シャーによって追放されていたザンド人を率い、ナーディル・シャーの死に…

ブーシェフル(Būshehr)

デジタル大辞泉
イラン南部の港湾都市。ブーシェフル州の州都。ペルシア湾に面する。18世紀前半、アフシャール朝のナーディル=シャーが軍港を建設し、ペルシア湾の…

ナーディル・シャー Nādir Shāh

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
[生]1688.10.22. 北ホラーサーン,クブカン[没]1747.6.19. クーチャンイラン,アフシャール朝の創始者 (在位 1736~47) 。ナーディル・クリー・ベグ…

アフマド・シャー・ドゥッラーニー あふまどしゃーどぅっらーにー Amad Shāh Durrānī (?―1773)

日本大百科全書(ニッポニカ)
アフガニスタンのドゥッラーニー朝の創始者(在位1747~1773)。ヘラートのアブダーリー人、サドーザイ部の出身。アフシャール朝のナーディル・シャ…

ナーディル・シャー なーでぃるしゃー Nādir Shāh (1688―1747)

日本大百科全書(ニッポニカ)
イランのアフシャール朝の創始者(在位1736~47)。トルコ系アフシャール人の出身。サファビー朝のタフマースプ2世に仕え、アフガン人をイランから駆…

アフマド・シャー・ドゥッラーニー Aḥmad Shāh Durrānī 生没年:1722-72

改訂新版 世界大百科事典
アフガニスタンのドゥッラーニー朝(1747-1842)の始祖。在位1747-72年。アフガン(パシュトゥーン)族のアブダリーAbdalī(のちにドゥッラーニーと…

アフシャール朝 (アフシャールちょう) Afshār

改訂新版 世界大百科事典
イランの王朝。1736-96年。始祖のナーディル・シャーはトルコ系アフシャール族の出身で,アフガン族,トルコ軍をイランから駆逐した救国者として声望…

アフシャール朝 あふしゃーるちょう

日本大百科全書(ニッポニカ)
トルコ系のアフシャールAfshâr人のナーディル・シャーが建てたイランの王朝(1736~1795)。彼はイランをアフガン人、オスマン・トルコ、ロシアの侵…

ドゥラーニー朝 ドゥラーニーちょう Durrānids; Durrāni(Abdālī)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
アフガニスタンの王朝 (1747~1818) 。 1747年,アフシャール朝のナーディル・シャーの死後,同朝が崩壊するとアブダリー族のアフマッド・ハーン (→…

カージャール朝(カージャールちょう) Qājār

山川 世界史小辞典 改訂新版
1796~1925イランのトゥルクメン系王朝。ザンド朝,アフシャール朝を倒しイラン高原を統一したアーガー・ムハンマドによって樹立された。首都テヘラ…

ザンド朝 (ザンドちょう) Zand

改訂新版 世界大百科事典
〈ゼンド朝〉ともいう。イラン系ザンド族のカリーム・ハーンが建てたイランの王朝。1750-94年。アフシャール朝のナーディル・シャー暗殺後の混乱に乗…

マシュハド ましゅはど Mashhad

日本大百科全書(ニッポニカ)
イラン北東部、ホラサーン州の州都。標高985メートルに位置する。外国人はメシェッドMeshedともよぶ。人口188万7405(1996)、300万1184(2016センサ…

ウズベク−ハン国 ウズベク−ハンこく

旺文社世界史事典 三訂版
中央アジアのウズベク族が建てた3ハン国の総称中央アジアのウズベク族はスンナ派として,サファヴィー朝と対立,16世紀にイルバルスがシャイバーニ…

シャー しゃー shāh ペルシア語

日本大百科全書(ニッポニカ)
ペルシア語で「王」を表す。アケメネス朝の古代ペルシア語フシャーヤシヤ(王)に由来する。古来ペルシア王はシャーハンシャー(諸王の王)とよばれ…

あふしゃーるぞく【アフシャール族】

改訂新版 世界大百科事典

ノールーズ nōrūz

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
イランの新年,春分の日にあたる。イランでは現在この日に始る太陽暦を採用しており,その前後に行われる祝典は最大の年中行事である。その起源は古…

サバー Sabā, Fatḥ `Alī Khān

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
[生]1765. カーシャーン[没]1822. テヘランイランの詩人。カージャール朝ファタ・アリー・シャーの桂冠詩人として活躍し,古典詩人のスタイルになら…

アーガー・ハーン āghā khān

改訂新版 世界大百科事典
1818年以降ニザール派イマームによって用いられている称号。元来はイランのカージャール朝宮廷の名誉称号。1817年ニザール派イマームの地位を父シャ…

イラン Īrān

山川 世界史小辞典 改訂新版
西アジアのイラン高原を中心とする地域。前8世紀末にメディアが建国され,ついで前6世紀にアケメネス朝が興り,西アジアの広大な地域を支配したが,…

アーガー・ハーン Āghā Khān

山川 世界史小辞典 改訂新版
イスマーイール派ニザール分派のイマームたちの称号。1881年没のハサン・アリー・シャー以降用いられるようになり,イマーム位とともに世襲されてい…

ウルミーエ うるみーえ Urmīyeh

日本大百科全書(ニッポニカ)
イラン北西部、西アゼルバイジャン州の州都。ウルミーエ湖西岸にあり、標高1332メートル。人口43万5200(1996)、73万6224(2016センサス)。年降水…

アフマド・シャー Aḥmad Shāh 生没年:1898-1930

改訂新版 世界大百科事典
カージャール朝の第7代シャー。在位1909-25年。第6代モハンマド・アリーの第2子としてタブリーズに生まれる。イラン立憲革命の最中,立憲派と激しく…

ミールザー・アーガー・ハーン・ケルマーニー Mirzā Āqā Khān Kermānī 生没年:1853・54-96

改訂新版 世界大百科事典
イランの啓蒙思想家。ケルマーン地方のバルドシールに地主の子として生まれる。ケルマーンで基礎的なイスラム諸学を修めた後,イラン各地を遍歴。そ…

ジャマーロッディーン・イスファハーニー Jamāl al-Dīn Isfahānī 生没年:1862・63-1908

改訂新版 世界大百科事典
近代イランの反専制・民族主義の説教師。ハマダーンに生まれるが,父の死後テヘランに移住。イスファハーンで学問・修養を積むかたわら説教師となり…

ペルシアこうしんきょく〔‐カウシンキヨク〕【ペルシア行進曲】

デジタル大辞泉
《原題、〈ドイツ〉Persischermarsch》ヨハン=シュトラウス2世の管弦楽による行進曲。1864年作曲。イランのカージャール朝君主ナーセロディーン=シ…

アーガー・ハーン Āghā Khān

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
イスラム,アサッシン派イマーム (教主) の称号。 1840年イランのカージャール朝宮廷内の紛争のためシンドに逃れたハサン・アリー・シャー (?~1881)…

パーレビー‐ちょう ‥テウ【パーレビー朝】

精選版 日本国語大辞典
(パーレビーはPahlevī) イランの王朝(一九二五‐七九)。ガージャール朝に代わって、レザー=シャーが建てたもの。イラン革命により崩壊。パフラビー…

ペルシャ行進曲

デジタル大辞泉プラス
オーストリアの作曲家ヨハン・シュトラウス2世の管弦楽による行進曲(1864)。原題《Persischermarsch》。名称はペルシャ(イラン)のガージャール朝…

スール朝 スールちょう Sūr

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
アフガン系のインド・ムスリム王朝 (1539~55) 。ムガル帝国初期,北インド地方に割拠していたアフガン系のスール族がシェール・シャーのもとに勢力…

パフラヴィー朝(パフラヴィーちょう) Pahlavī

山川 世界史小辞典 改訂新版
1925~79カージャール朝を廃したレザー・シャーにより創始された。1941年,英露の強制により息子パフラヴィー2世に譲位。親子2代の国王は1979年のイ…

シェール・シャー しぇーるしゃー Sher Shāh (1472/73―1545)

日本大百科全書(ニッポニカ)
インドのデリーに都したアフガン系の王朝であるスール朝の創始者(在位1539~45)。北インドにはアフガン系の諸勢力が分散的に進出していたが、その…

ホラーサーン Khorāsān

改訂新版 世界大百科事典
イランからアフガニスタンにかけての地域名。現在はイランの州の一つで,面積約32万km2,州域はイラン最大。人口600万(1991)。州都はマシュハド。…

ヘラート Herāt

旺文社世界史事典 三訂版
アフガニスタン西部にある都市古来東西交渉の要地として栄え,15世紀ティムール朝時代には,シャー=ルフによって都とされ,学芸の一大中心としてサ…

ゴール‐ちょう ‥テウ【ゴール朝】

精選版 日本国語大辞典
(ゴールはGhor) 一二~一三世紀、アフガニスタン中部のゴール地方を中心に、インド北部を支配したトルコ系のイスラム王朝。ガズナ朝を滅ぼして成立。…

ムザッファル・ウッディーン Muẓaffar al-Dīn Shāh

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
[生]1853[没]1907.1.4.イラン,カージャール朝第5代のシャー (在位 1896~1907) 。イランをめぐるイギリスとロシアの角逐の激化に加えて,シャーの3…

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